雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

「逃げ恥」をめぐる妄想

 「逃げたら恥だが役に立つ」ってドラマがはやった。今の仕事を始めてから夜勤があるので連続テレビドラマを最後まで見るのは20年ぶりくらい。でももともとはテレビっ子で、生徒、学生時代は、深夜番組に至るまでチェックしていた(思い返せば、あの頃が日本の地上波テレビの黄金期で、二度と戻らない)から、視ていてずいぶん時代の移ろいを感じたのだ。
 今の時代だから、大量の感想文がアップされていて、中には面白いものもある。テレビドラマ、しかもラブコメだから、感想はそれぞれでよいと思う。このドラマを今後の共働き夫婦生活の参考にしたいと思って見ていたという妻は「主人公の平匡、みくり2人の間で夫婦関係の明快な解決策が示されていない!」と言っていたが、そんなものはそれぞれが考えて納得できればそれでいいんだ、というのが脚本のメッセージではなかったか、とも思うのだが。。。
 社会的少数派への「メッセージを受け止めた」という感想も多かった。なお、新垣結衣紅白歌合戦の審査員に招待され、朝日新聞天声人語にも登場したという(配達地域内には未放映の県もあったはずなのだが)。「社会派」ゆえにメディアの「中の人」にもアピールしたのだろうか。

hiko1985.hatenablog.com

 ただもちろん商業ドラマなので、制作側の意図がある。脚本家の野木亜紀子、原作者の海野つなみツイッターを持っていたし、プロデューサーや演出者の公式のインタビューも出ていて、ちゃんとしたソースがあるものを見たい方はそちらを参照願いたい。

realsound.jp

 その上で以下、なんにも根拠のない臆測、というか小賢しい!?妄想である。だけれど、視て思ったことは忘れないうちに。自分の商売に役立ちそうなところをメモっておく。全部が意識した仕掛けなのかどうかも判然としないし、制作者にもそんな意図がなかったのだけれど、結果的に成功していたっていうものも含まれるだろう。

【大局的な話】
 民放テレビ局は広告が入らないと存在できないのだけれど、いまはなにより視聴率が取れない→制作費が厳しくなる、という決定的な曲がり角にある。主な理由は生活習慣の変化。スマホやPCの普及、さらに高画質レコーダーの普及。人間は基本1画面しか見られないのだが、昔は子どもしかしなかったゲームを大人もスマホなどで常時やるようになって、テレビの前に座る習慣が限られてきている。仮に視てくれても、レコーダーでCMを飛ばして見られると、広告収入につながらない(この辺は定額購読料がある新聞よりもきつい)。
 もちろん、クールによってばらつきもあるし、大きな企業同士の契約だからすぐに○割減となるわけじゃないのだが、現実にGRP(延べ視聴率)という超有力指標で広告単価、ひいては局の総収入がが決まってしまう以上、結構露骨なようである。
 基本的にマスコミという業界は、業界トップ(公共放送)が独自の動きをしている点が特殊ではあるものの、いったん負け組に転じると視聴(購読)習慣も失われ、よほどの天才が出ない限りはどんどん負けていく仕組みである。活字でもこれはそう。ラジオ局などはオールナイトニッポンみたいな名門番組であっても、すでに相当大変な状況にある。
 ゴールデンタイムの総視聴率(つまりどの局であれテレビを見ている人の比率)はすでに10年で1割は減っていて、テレビドラマも「15%が合格最低点、20%で成功」だったはずが、いつのまにか「二ケタで合格」になっている。最近は円盤売ったりして副収入狙ってるのもこのためで(「水曜どうでしょう」なんかのように、地方局レベルではこれも馬鹿にできない)、単純にGRPが半分になれば収入は半分になるから、報道を含め制作費へのしわ寄せはけっこうきている。
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 ドラマというのは二次利用、再放送のメリットがある代わりに、こけたと分かっても筋が終わるまでは打ち切りしにくく、情報番組のようにその日ごとの企画でさりげなく修正していくこともできない。俳優の出演料やセットなどの固定費もものすごい。どんな業界でも守りに入った局面で、ハイリスクな商売の担当者は、基本的に風当たりが強いはず。(風当たりが強くなかったとしたらTBSは立派な会社だ)

 で、逃げ恥なのだ。
 原作はけっこう面白い少女漫画なのだが、フェミニズムっぽいとか、けっこう癖のある作品。キャストの大前提は主演が新垣結衣であること。「男女ともに」好感度の高い女優さんだけれども、”色気”がないし、去年の前作は成功とはいえない結果だった。
 制作費を抑制する意図があるのだろう、ロケは日帰り可能な横浜がほとんど。遠目といえるのは山梨のブドウ狩り、館山と修善寺くらい。ほとんどはセットで撮られている。あと、そもそもの出演者数が少なめである(エキストラは無料として)。序盤に一人二役があることも話題になっていた。
 という中で、視聴率のプラスアルファをどうやって取るか、あと、このドラマの営業上、最大の課題として位置づけていたはずのF1、M1の青年男女層にどうやってテレビの前に座ってもらうか。いまドラマを視ているのはもう少し高年齢の「おばちゃん」層主体らしいのだが、視聴率の数字が高くても消費財の購買力が低い高齢者ばかりだとスポンサーは困るし、かといっていまのF1、M1に昔のような購買力があるのか?という問題もある。
 予算は限られている中で、制作側はいろいろ仕掛けをしたようだ。気づいた「実験」がいくつかあった。

【「逃げ恥」そのもの】

  • ソーシャルネットの活用法を相当に考えてきていた。「恋ダンス」はもちろんその一つ。*1それだけでなく、それも含めて放送中からメイキングを出しまくっていた。脚本家や原作者がツイッターで裏話を見せていく。予告編も毎回2パターン以上を時差で出していってネット上で見せる。(実際よりもかなり多数のカットを撮っていて、予告編にある場面が本編にないっていうケースが頻出していた。これは編集デジタル化のたまもの)。恋ダンスの出演者バリエーションは有名になったが、オープニングの新垣結衣の表情が2種類あるとか、そんなの3回見ないと分からないよ、といったものが入れ込まれていて、これはドラママニアには受けていた。意図したのか、帰結なのかは分からないが、大規模なSNS展開は、ネット露出がほぼ全面禁止されているジャニーズ事務所の俳優が出ていないことで可能になった。
  • キャスティングテリー伊藤が言っていたけれど、このドラマの肝は星野源以下、藤井隆古田新太の男優側にあった(あと石田ゆり子)。コントができる俳優をそろえたことで、ストーリー展開の自由度が広がった。新垣結衣の充て役は、あらゆるところでコメントされている通りで、誰もが認める美人が演じることでファンタジーになったけれど、原作に含まれている毒をうまく抜く効果もあった。妻の指摘では「手足の長い人がダンスを見せると映える」。
  • あえて青年層の実生活水準、リアリティを入れた脚本。コメディ、契約結婚というフォーマットはすでに古く韓流にもあるし、そもそも新垣結衣が家事手伝いに現れるはずがないという「大嘘」からスタートしているので、冒頭1話についていくのが厳しいストーリー。それもあって、サプライズで出した恋ダンスで最初の話題を取りにいったのかもしれないのだが、演出上は「大きな嘘をつくためには小さな真実を混ぜていく」という鉄則を守っている。単に原作尊重ということもあると思うが、原作の設定が守られないケースの方が多いのである。年収設定、勤務先(マスコミ人とか、内輪受けに墜ちやすい業種は出てこない)、洋服ほか調度品の選択。それでもセットがさみしくなるのを避けるためか、高学歴SEといっても社会の実態よりは若干高めにせざるを得なかったようなのだが、よく見ていた90年代の恋愛ドラマが生活水準においては「夢」っぽい生活を見せようとしていたのと、かなり対照的だった。
  • 放映後の「知りたいこと」「要望」に応える運営。主人公から「フラグ立った!」って台詞があったけれど、たとえば恋ダンスのパターンがどんどん増えていくとか、放映前に8話までは脚本ができていたそうなのだが、それ以降のストーリー展開は、可能な範囲でネットで流れる「感想」「要望」が反映されていたように思う。これは脚本家の趣味もあったと思うけれど、真田丸パロディなんかは明らかに最終盤の演出アイディア。最終話の藤井隆の奥さんが実在の乙葉さんとか。これは前項の”リアリティ”の維持とも通じる。商業的な「大人の事情」についても視聴者目線からできるかぎり露骨にならないように気を使っていた(日産は例外だったが、横浜でのロケといい、これはたぶん相当に金額が大きいのだろう)。ハイビジョンになったことで変わったことの一つに、調度品とかのブランドがほとんど解読できるようになったこともあるのだが、これもけっこう積極的に開示していた(インテリアは「大塚家具」だし、「みくり飯」とか)。
  • CMに頼らない広告の入れ方。オンデマンドで見るしかないので、CMを見ていないから分からないのだが、CMよりもタイアップを重視した展開をしていたと感じる(日産とか三菱電機とか)。これは制作ではなくて営業の分野なのだろうが、CM飛ばしが日常化する中でどうやって訴求していくかを研究していた印象だ。
  • 異常に多い伏線の提示とその回収(パロディの多用も含む)。ネットで言う「フラグ」立て。主人公の妄想に出てくる「ザ・ベストテン」は新垣結衣が見ていたはずのない時代の番組だったりするのだが(笑)。予告編にしか出てこない場面(婚姻届と見られる書類をゴミ箱に捨てた、とか→これはたぶん拾って喧嘩になる設定)最終盤でまだ使い切ってないのが結構あるような気もするが、ひょっとしたら今後の制作でありうる要請への留保かもしれない。
  • 「悪い人」が出てこない。朝ドラあたりではもともと顕著だし、今年の「真田丸」やヒットした日本映画に共通するけれど、「悪役」を積極的に打ち出さないストーリー、あと最後にハッピーエンドになると信じられるドラマがヒットしている(実際、このドラマでも最終1話前のプロポーズ失敗への非難が強かった)。週の前半の火曜の放映だけに、視聴後に元気が出るドラマ、という演出側のコメントもあった。現実の社会が厳しいことの反映かもしれないが。。。
  • (おまけ)ガッキーがかわいい。もともとCMではかわいい感じなのに、ここ数年のドラマや映画では「かわいい役」の設定を封印していた。リーガル・ハイもコメディではあったが、かなり性格がきつい役である。その前も、その前も…。たぶん「大人」を意図したイメージ転換を狙っていたのだろうけれど、前作と本作では「いったん封印」して、コメディエンヌとしての(外部の)期待に忠実に応えてきた。主要制作者はすでに何周目かのメンバーだそうだけれど、意図したとおりの効果が出た。あと、まあ「初めての主婦役」ではある。

 結果的にネット中心に爆発的な口コミが広がって中盤から「新規参入」が増え、予想外の成功につながった(でもネットに触れていない人は何が何だか分からないのでは)のだけど、たぶん期待値はそんなに高くなく、もともとはヘビーウオッチャー向けの仕掛けがなされていたように思う。一度見ただけだと伏線に気づかないくらいな作り込み方で、最終話だけ見ても普通のドラマ以上に何が何だか分からないはず。
 そういう意味では、かなり手札が限られた中で大コケを避けるため、また青年男女層に見てもらうためにあらゆる努力(実験)をして、それが複合的に予想以上の効果を出したという印象だ。

 もともと「重版出来!」あたりから脚本家がサービス精神旺盛な人だということは知られていたようなのだが、ドラマは脚本で半分は決まるということを例証した結果でもある。ただ、最終盤にはいわゆる一般的な宣伝を強烈にかけたので、「ここまで努力しても20%しか出ないの」という現実の厳しさを感じる結果でもあったように思うが。

いろいろ書いてきたけれど、要は、宣伝でありながらもあざとい印象を与えずにSNSを活用するっていうのは結構難しい。恋ダンスは大成功だったが、それだけでは3カ月はもたない。ストーリーで引きつけきったという印象はないし、豪華なセットや大規模なロケも少なめ。どこまで狙い尽くしたかは分からないが、これからの番組作り影響を与える作品になったのは間違いないように思う。(敬称略)

ついでに言えば、やっぱり似たようなことを考えている人はいるものである。
bylines.news.yahoo.co.jp

*1:これを子どもが見て流行したことで、本来の22時台ドラマとは少し演出方針が変わったかもしれない