雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

「抜かれて悔しい」ってことじゃない。

bylines.news.yahoo.co.jp

「出張で忙しいので」備忘録的に。藤代裕之氏の取材申し込みを断っておいて、朝日新聞の取材を受けたって話。

 ヤフーの社長となれば忙しい。安易に取材に応じて余計なことをしゃべって問題になるリスクもあるので、インタビューを断ること自体は何の問題もない。仮にオバマ大統領、安倍首相、国会議員のような「公人」であったとしても、全員の取材申し込みを受けていたらきりがない。
 そこには必ず「選別」の問題が発生する。普通取材を受ける立場からすれば「影響力が大きく」かつ「好意的な」媒体から順番に受けていくのが摂理だ。コメンタリーしている人々の多くは、それを指摘している。

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 あるいは、もっと公的な機関では、それをオブラートに包んだ言い方をしている。よく批判される「記者クラブに加盟している社のみ」というやつである。警察や政権中枢などはもっと限定していて「加盟している社に所属していて、かつ記者クラブ員である記者」しか取材を受けない(加盟社の記者であっても担当が違えば取材できない)、というところも多い。加盟していないところ、人からすれば不愉快きわまりないと思うけれど。
 ではどうやったら記者クラブに加盟できるか、といえば記者クラブに「常駐」していたり、たとえば会社が「新聞協会に加盟」していたり、「既存社の推薦」も必要だとか。そういうことで「信頼性がある」ということを認証した、だから取材を受ける、ということにしている。

もっと進んで、閉鎖性が指摘されたこともあって、いま民間企業対象の記者クラブというものはあまりなくなってきている。個人、あるいは民間企業であれば上場企業ならば決算会見くらいはIRの一環として開催を求められる、という程度であって、株主でもない組織の取材を無制限に受ける義理は「基本的にない」。
 ただ、ここで忘れてはならないのは取材者側にも、取材を断られた経緯を開示する権利はもちろんあるということだ。ただ既存のメディアは「今後のつきあいもある」とか、「うちの会社が取材を受けてもらえなかったのは(プレステージが足らず)”恥ずかしい”」みたいなメンタリティがあるのか、これまで開示するケースがあまりなかった、ということにすぎない(ただ、これは必ずしも日本だけの慣行ではない)。

今回の論点は、ヤフーが「取材していく」「取材する人を応援する」組織=メディアであることを公式に標榜したところから起きている。こういう経緯で「取材を断った」組織なのであれば、ヤフー側から申し込まれた「取材を受ける」組織も同様の対応をする権利が発生する。世の中はお互い様であるからである。

まあ、それについてもヤフーニュース個人については「個人がそれぞれ申し込んだ取材である(=プラットフォームにすぎない)」ということで逃げることも可能だ(ただし、その逃げ方によっては、プラットフォームとしての価値を毀損するだろう)。

では、ヤフーが取材した「戦後70年企画」はどうだろうか。
この記事は@dragoner氏が後刻、サイト公開後に取材に関わったことを明かしたがdragoner.ねっと: 戦後70周年企画「シベリア還らぬ遺骨の今」公開について、記事自体は無署名である。また同テーマについて厚生労働省の担当者は「ヤフーニュースからの同行取材の申し込みがあった」と明白に答えていた。また、筆者である@dragoner氏のコメントにより、この記事の文責は著作権はヤフーニュース自身に存在していることも教えていただいた。つまり、ヤフーニュース自体が、この場面では、自ら取材する「媒体(=メディア)」として振る舞っていたことを意味する。
wararchive.yahoo.co.jp

 ある理由で取材を拒否するということは自由なのだが、これはメディアにとってのブーメランであって、その組織が別な組織に取材を申し込むときに、その理由で取材を拒否されても文句は言えないということでもある。
「影響力が少ないから受けない」という断り方を仮に表に出したとすれば、この裏返しは「影響力があるのだから取材を受けろ」という、傲慢とも取れる態度である(ただ、マスコミというのは本来的にそういうものなのではあるけれど、それを公言するのは全く別次元の話なのだ)。
 さすがにあまり快くないと思ったのだろうか。なので、ヤフー広報は別の言い方をしたのだが、それは虚偽説明という別のモラルハザード(倫理観の欠如)を産むことになった。ヤフーニュースがこれからこういった「自主取材」を拡大していくのかは公表されてはいないけれど、そうだとすれば、そう言う対応が「ニュース企業の倫理性」としてプラスなのかどうかということなのである。

 今回、藤代氏の宮坂社長へのインタビュー申し込みは相当前に行われていたと聞く。申し込みに対しては、長い間広報から承諾も、断りの返事もなかったのだという。ある程度知られていることだが、ヤフージャパンは代表電話がなく、広報の電話番号も公開されていない。つまり、メールの返事が来なければ、断られたかどうかを確認する手段がないので「黙殺された」と判断されてもしかたない(判断するしかない)。

 何度も繰り返すが、ヤフーは役所ではなく私企業であるから、(企業イメージが損なわれるかもしれないリスクはあるにせよ)そういう対応をすることは企業の選択として許される。広報が「忙しいから無理」とか「朝日新聞の大鹿記者が古くから懇意であって、知見を尊重している。なので取材を受けた」と説明するのももちろん自由だ。朝日新聞なんかの(失礼ながら)取材は受けないが、ニューヨークタイムズワシントンポストの取材なら受ける、という要人や、世界的な企業経営者は世界中にごまんといるのである。ただ、政治家であれなんであれ、「なじみの記者なら取材を受ける、そうでない人は相手にしない、そういう人なのね」と知られるリスクは負うことになる。

 ただここで、、広報が一般的に「担当責任者から語らせたいという宮坂本人の意向(つまり”誰であれどこの社であれ”このテーマの取材は社長は受けないのだ)」と説明するのは虚偽だ。虚偽説明をする企業はメディアとしての信頼を得ることはできない。しかもこの返答は、黙殺されているのでは、と疑念を抱いた藤代氏の再度の問い合わせに対してなされたものだと聞く。
これは「より良いメディア環境の形成を目指し、情報発信を担うパートナーであるコンテンツ提供者と協力していきます。パートナーの活動や役割を理解し、適切な情報提供が行えるよう努力します」と標榜する企業の態度とは相いれないのである。

 最後に、企業が新ネタを日経新聞にリークするのは企業広報の常套手段ではあるけれど、それに対し朝日や読売の記者が抜かれて「悔しい=つきつめれば媒体力が不足していて読者に申し訳ない」という感情を抱くこととは、今回の問題は問題の次元が少々異なるように思う。
 なぜなら藤代氏の「ヤフーニュース個人」は、せんじつめれば一つのブログであり、ヤフーがプラットフォームに過ぎないという立場をとり続けるなら、藤代氏が「抜かれ」たことに「責任を取るべき(有料)読者」は存在しないからである。
 藤代氏はヤフーと取引関係もなく、恒常的な取材対象ともしていない一大学の研究者であって、ヤフーに対して「配慮」をする「義理」なんてものは存在しない。つまり、「悔しい」と思う動機はないのであるから、断られた理由を好きなだけ開示する権利がある。「いつもお世話になっています」という言い方があるけれど、そうではないのだから。
 たとえば仮定の話として、ヤフー側が藤代氏の個人ページの記述を取り下げるよう求めてきたら、それも公開することもできるはずだ。運営するヤフーの側が「プラットフォームに過ぎないので、ヤフーという企業トップの対応とページの運営は切り離している」という態度なのであれば。
 なので、藤代氏にとっては、これはヤフー個人という「プラットフォーム」を使った公開質問状でもある。


という風に私は理解したのですが、どうでしょう。