雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

君知るや南の国、欧州と中東をつなぐ線(1)

 欧州への難民危機が、日本でも急にクローズアップされてきた。
これだけ現場発の報道があふれるテーマに書くべきことがあるだろうかと思いつつも、かつて中東に住んで仕事をし、少しだけ「普通の日本人」より事情に通じている人間として、自分の中の考えをまとめたいと思った次第。たとえば我が妻に語るように。「夫が妻に語る中東難民史」と思って読んでいただければ幸いである。


 欧州への難民流入というのは、いま始まったテーマではありません。
 いま、まさに騒然としているのはトルコからギリシャに海路で渡り、マケドニアセルビアを経由してEU圏のハンガリーに入り、最終的にドイツ(ないしオーストリア)にたどり着くというルート。ご承知のように、このルートはすでに全世界のメディアが追うテーマとなっています。www.47news.jp


問題は「彼らはどのような人々で、なぜいまなのか」。
基本的に彼らはシリア人だと考えられているのですがが、違う人もいるかもしれません。(これは後で書きたいと思います)

代表的な報道、たとえば英文ならば英紙ガーディアンが難民の方々の証言記事を掲載しています。 gu.com
日本語でも元朝日新聞の川上泰徳氏が、聞き取りをした記事を掲載しています(ただし1人)。mideast-watch.blog.jp
背景分析としては、このような分析記事もあります。www.47news.jp

 ただし、これらの記事を読むにはそれなりの背景知識が必要なのかもしれません。たとえばブダペストで彼らは「なぜ英語のプラカードを掲げて行動できた」のか。なぜ「ガーディアンのインタビューに答えられる」(記事にも書いてありますが)のか。つまり英語ができる、本国でも生活水準の高かった人たちが、少なくとも今回の行動では多くを占めているということなのです。

 シリアといえば、日本人にはほとんどなじみのない国でしょう。いまは内戦をしている、というくらいの印象だと思います。少し前の世代の方であれば、アラブ民族主義の旗手として、イスラエル中東戦争を戦った(そして負けた)国という記憶があるかもしれませんけど。かつてはフランスの植民地だった地域です。
 中東といえば石油を買ってくる国というイメージが強い(それしかない)日本人にとっては、ドバイやサウジアラビアの”湾岸”諸国に比べ、存在感が薄い場所です。シリアでも石油は採掘されるが、大量に輸出するほどには採れません。

 ただ、もう少し深く見ると、イラクからシリアに至る回廊こそ、「石油が採れる前の」歴史的なアラブ文明の中心的な存在であったことが分かります。文化、歴史的な蓄積は、湾岸諸国の比ではないですし、そういう面での知的な蓄積は深いのです。ちなみにシリア人は「もてなしの民」として知られていました。ただ長引く戦争の結果、気質が変わってきてしまったと嘆く声も聞かれます。。。
 ダマスカスの歴史は紀元前3000年、第2の都市アレッポの歴史は紀元前1800年にさかのぼります。同じく内戦状況に陥っている隣国イラクの首都バグダードメソポタミア文明、8世紀のイスラム帝国の首都だった時期に「人口は100万人を越え、イスラム世界の学問の中心地として各地から多くの学者が集まり、千夜一夜物語の多くの物語の舞台にもなった」(wikipedia)。古くから人が住んで、文明史の中心となった場所ですから、難民が生まれる状況に陥る前は、決して貧しい人ばかりが住んでいたわけではありません。
 そして、砂漠だけでなく、都市文明があるのですから、人口が多いのです。シリアの人口は2200万、イラクの人口は3500万。レバノン、ヨルダンを入れると、欧州の主要国1国を遥かに上回る(フランス、イタリアの人口がそれぞれ大体6000万人強)規模になります。この地域の政治が不安定な状態になったことが、欧州への難民を生む直接の要因になっています。

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 なぜ不安定になったのでしょうか。「アラブの春」を受けた中東の民主化運動と、それに対する既存のアサド政権との徹底的な対立、弾圧、内戦に至る流れがありました。その過程でアサド政権に反対するスンニ派イスラム主義者の中で、いわゆる「イスラム国」など、他宗派に対し過激な行動をとるジハード(聖戦)主義者が「アサド政権にまずはとにかく勝つという過程の中で」実権を握ったこと、これが直接の原因です。

 と書くと新聞の説明を引き写したようになってしまうのですが、なぜアサド政権への反対者が強かったのか、さらにシリアで異宗派、異宗教に敵対するな勢力が実権を握るとどう問題になるのでしょうか。

 歴史の古い地域にしばしばあることですが、シリアもイラクもそれぞれ、非常に複雑な民族、宗派構成になっています。というよりも、パレスチナを含めたこの(中近東の地中海側)地域に、民族や宗派による明快な国境線を引くこと自体が、もともと無理だったというほどの複雑さがあります。
 その中で第2次大戦後独立したシリア(とサダム・フセイン時代までのイラク)は、基本的に「アラブ人」を意識した、民族主義に基づく国作り(バース党指導による国家)をしてきたといってよいでしょう。イスラエルとの第3次中東戦争に完敗した後、アサド(父)が独裁的な権力を握りましたが、彼は人口の12%にすぎないアラウィー派(イランで政権を握るシーア派*1に近い教義を持つ)の出身の軍人でした。いまは英国から帰国したアサド(息子)が権力を握っていますが、スンニ派が7割を越えるシリアで、1割のキリスト教徒を足したとしても、アサド政権は少数宗派による政権を半世紀にわたって続けてきたことになります。

 一般的にいって、スンニ派とシーア派アラウィー派などを含む)などイスラム教少数派との関係は、良好とは言い難い状況です。多数派であるスンニ派にとって、少数派であるシーア派の人々は、地域内では同じムスリムという親近感ではなく、教義、儀礼の違いから嫌悪の対象と見られがちなのが、残念ながら実態だと思います。一方で、シーア派の人々はスンニ派を嫌悪しているかといえば、そうではないように思うのですが…。どんな区分であれ、少数派の側からは好き嫌いを別にして多数派とうまくやっていく必要があるということなのかもしれません。


 チュニジアに始まった「アラブの春」は民主主義を中東の地で具現化しようとする運動でした。だからこそ、民主主義の基本原理である「多数決」を具現化しようとする運動に容易に変わっていった、ということがいえると思います。チュニジア、エジプトでは比較的少ない流血で政権交代に成功しましたがエジプトでは反動が起き事実上の軍政に逆戻り、リビア、シリアでは内戦になりました。
 アラブのどの国でも、多数派は「敬虔なスンニ派のアラブ人」です。なので、たとえば「イスラム国」は「彼らの利益を極大化して代表する勢力」でもあるのです。しかし、彼らが権力を握った場合には、アラウィ派やキリスト教徒にとって、シリアに安住の場所はもはやない。さらに、民族的にみればシリアとトルコの国境地帯には「国家を持たない民族」である、多数のクルド人も住んでいます。

 アサド氏自身が「シリアで死ぬ」といっているように、アラウィ派全体の存在が抹殺されかねない状況では、和平などといっても絵空事にしかうつりませんし、スンニ派勢力も半世紀にわたって残虐行為を繰り返してきたアサド政権を許せる状況にはありません。
 さらに、シリアの政権が変われば、キリスト教徒が約3割を占め、イスラム教徒の中でシーア派の方が多い”地域”である、隣り合う小国レバノンにも容易に波及するでしょう。 日本で最も知られるレバノン出身者といえば、ルノー会長のカルロス・ゴーン氏だと思いますが、彼はキリスト教徒(マロン派)です。

 ユダヤ人による特殊な国家であるイスラエルを除いて、いま中東で地域的な広がりを持って影響力を行使できる「大国」は、イラン、トルコ、サウジアラビア、エジプトの4国と言っていいと思います(ただしエジプトの影響力は低下傾向にある)が、それぞれに民族、宗派上の特性があります。
 ちょっと視野を広げて、シリアの隣国イラクについても見てみましょう。全人口のうち、イランの多数派と同じシーア派が約6割を占めており、相互の関係は深いです(イランの現在の指導者にもイラク生まれの人間がいます)。さらに、イランのシーア派にとって、宗教史上イラクシーア派はイランに比べて信徒数は少数であっても「先達」であり、イランに政治、社会面で与える影響力が大きい(イラン人の中で、どれほど危険であってもイラクシーア派聖地に巡礼に行く人々は後を絶たない)のです。
 シーア派が絶対多数を占めるイランにとって、レバノンシーア派と連携するためには、シリアはスンニ派政権でない方が好都合です。さらにイラクイスラム国の手に落ちることは絶対に認められません。
 ただし、この論理は、サウジアラビアのようなスンニ派の大国にとっては逆になりえます。「シーア派(=イランとみなされる)が力を持ちすぎることは認められない」。宗派の相違だけでなく、そもそもイランはアラブ人ではないからです。同じ理由で、シリアの隣国であるトルコがシリアの内政に全面的に関与する可能性もあまり高くありません。シリアでなく、イエメンで起こっている内戦は、まさにこの図式が全面に出てきています(サウジアラビアと湾岸諸国の軍がシーア派組織に宣戦している)。

 トルコについてこれまで触れてきませんでした。今回の難民の流出にはトルコの動きが大きく関与していると考えられていますが、中東ゆえか、細かい意図までは明らかになっていないのが実情です。トルコはシリアと長い国境線を接していて、最多の159万人のシリア難民を受け入れているとされています。これまでにも書いたようにトルコはこれまでシリア情勢に深入りを避けてきましたが、一方でシリアの政権が弱体化し、クルド人の支配地域が増えることを警戒しています。
 クルド人の居住地域はトルコ東部にも広範囲に広がっていて、その独立は絶対に認められませんし、これまでも運動を弾圧してきた歴史があります。シリア難民の中でクルド人はそれなりの人数を占めているとされていて、難民として流入してくることで、トルコの民族紛争が激化することを警戒していると思われます。溺死した写真が世界に衝撃を与えた3歳のアイラン・クルディちゃんは、まさにその名の通り、トルコからギリシャに渡ろうとしたクルド人の一家でした。

jp.wsj.com

 ちなみにレバノンはわずか人口500万人の国に115万人のシリア難民を受け入れていますが、すでに国内にはパレスチナからの難民が50万人いました。レバノンはシリアと民族的歴史的なつながりが極めて深い国ですが、これは完全に限界を超えた数といわざるを得ません。。。

 もう一つ記しておくべきなのは、少なくともシリアはローマ帝国時代から「地中海世界」の一翼を担う地域だということです。日本でいう中近東という中でも「近東」にあたります。実際、欧州(特にウイーンなど中東欧あたり)からは指呼の間の場所なのです。さらにいえば、中東、欧州各国それぞれの間には旧植民地の宗主国として、戦後の労働力供給地としての人口流動、留学といった形で、日本人には見えにくい有形無形の人的な絆があります。難民が「なぜドイツに行く」と一様に言い張るのか、おそらく、こういった「縁」や「つて」が背景にあるのは間違いありません。
 中東の人は宗派の中でさらに親族、氏族といった「絆」でつながっています。いとこまでは家族同然に付き合います。植民地支配から、政治的不安定、抑圧、独裁などが続いてきたため、それなりに恵まれた一家の中でチャンスがあれば欧米(ただし多くの場合欧州)に若者を出し、永住権もとらせ、いざ身辺が危うくなればその関係を頼って脱出するということを常に想定しています。シリアから米国に移住した、そんな1人がスティーブ・ジョブズの父親でした。
 ロンドン、ウィーンのような大都市、スウェーデンなどにはそういった中東出身者の濃密なネットワークがあり、こういう脱出行の際の情報収集、移住の斡旋などでも機能している、なので「ドイツでなければならない」と主張しているのだ、と考えるのが自然です(ドイツには高度成長期にもともと労働力として移住したトルコ人の大コミュニティがあるのは有名です)。なので、日本が仮に受け入れるといっても、そう簡単ではありません。ペットショップの動物をえり好みするわけではなく、家族を抱える人間ですから。

(つづく)

*1:シーア派という言い方自体がスンニ派から見た”分派”という意味を含んでいるので、自分こそが正統だと考えるシーア派の人たちは自分たちのことを「シーア派」とは呼ばない、など、まあいろいろ複雑なのですが。