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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

朝日新聞の第三者委員会報告書への雑感

メディア

 すでに年が明けているが、昨年の振り返りでこれは記しておいた方がよいと思い、大晦日付で記したい。

年末に、従軍慰安婦報道を巡る「第三者委員会」報告書

朝日新聞社 3つの検証委員会 慰安婦報道検証 第三者委員会・報道と人権委員会・信頼回復と再生のための委員会
が公表された。もし一読しようと思う人がいらっしゃれば要約版でなく全文の方が興味深いと思う。

 従軍慰安婦問題そのものについては、先に述べたように専門家の論考がある中で、専門ではない一記者が分析を述べる意味はあまりないように思うので、同業者としての感想を要約して述べる。この20年あまりの推移は、まさにきわめて日本的な組織論理が展開された結果なのだ、ということに尽きる。それは、まさに報道が行われた当時の対応もそうであるし、今年(これを記している時点では昨年)、この問題を「総括」すべく記された8月の「検証記事」についてもそうである。
 その中で、組織論としてとりわけ興味深く思われた点を2点記す。

  • 1.そもそもの最初の報道と位置づけられている1982年9月2日付の記事について、執筆記者が「判明していない」とされること。また、1990年6月19日、朝刊(大阪本社版)社会面(26面)に「名簿を私は焼いた」、「知事の命令で証拠隠滅」、「元動員部長証言」との見出しのもとに、顔写真が付された記事についても「執筆者が不明」で、「取材の詳細も判明しない」とされていることだ。

 限られた経験ではあるが、記者という存在は、自分が直接話を聞いて、書いた記事について「書いた記憶がない」ということはあり得ないものだ。まして、社会面に大きく掲載されるような記事であればなおさらだろう。(もちろん、取材メモが散逸していて一問一答を記すことができないということはある)。
 この調査は決定的なものであり、名のあるジャーナリストを複数含む構成であり、かつ社内の全面的な協力を指示されているものでありながら、取材、執筆者が誰であるかに到達することができなかった。


  • 2.(まず報告書より引用する)

1997年特集の後、担当した社会部のデスクは、「以降、吉田証言は紙面で使わないように」と記載した「行政」を出した。「行政」とは、社内の連絡文書であり、当時は、デスクが編集システム等を通じて社内の関連部署に送っていた。「行政」の内容は、他部署に対する調査・取材依頼、取材に関する注意喚起など多岐にわたっており、受領後に保管するか、廃棄するか、といったルールも明確ではなく、受け取った側によって取扱いは様々であった。「行政」は頻繁に発出されており、1件1件の重みは様々であったと思われる。なお、現在では、「社内連絡」の名称で、メールの形となっている。「行政」の位置づけが上記のようなものであったことから、吉田証言に関する「行政」は、これを出した者の記憶にはあるものの、その他の者には意識されず、取材班の者ですら、ほとんど把握していない状態であった。

 1997年特集とは何か説明する必要があると思われるので、これについても引用する。

 朝日新聞は、1997年3月31日付朝刊1,16,17面の特集記事において、「従軍慰安婦 消せない事実」、「政府や軍の深い関与、明白」との見出しで、慰安婦問題を大きく取り上げた。(中略)吉田証言は、上記の「経緯」の文中に、次のように取り上げられている。 「吉田清治氏は八三年に、『軍の命令により朝鮮・済州島慰安婦狩りを行い、女性二百五人を無理やり連行した』とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、まもなく、この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。

 名称は違うが、どこの新聞社にも「社内連絡」的文書群はあるようだ。記されているように全国への取材手配、話題となっているテーマへの注意喚起…といったものである。こういった指示は基本的に厳格に守られるのが常である。紙面化されていないが、この時点で「吉田証言」の不正確性は全社内で共有されていたことになる。問題はそれを対外公表するか否かという点で、朝日新聞という会社は、それを社内限りとする判断をとった。
 ここから先は推測にならざるを得ないが、「(過去)紙面の無謬性」への信仰が優ったという推理は容易に可能だ。直すと誰かが怒られ、責任を取ることになる。初報からすでに15年経過しているが、15年という期間は(当時の)新聞社にとってはそれほど長くはない。多くの先輩が当時在職していたはずで、その当時であれば82年、90年の記事の執筆者が「判明しない」という事態は恐らくあり得なかっただろう。
 先の投稿で記したが、この問題は、「誤報(虚報)による特定の被害者」が存在しない案件である。誤報を「事実ではない」との確証が得られていないのだから、それを取り消すほどのことではない、と判断がなされたことがうかがえる。

社会部以外の者は、「あれは社会部がやっていること」であり、不用意に口出しすべきではない、との認識を示し、社会部内でも、「あれはもともと大阪社会部がやっていたこと」と述べる者もいた。さらに、「大阪社会部と東京社会部には壁があった」、「大阪社会部の記事を、東京社会部が取り消すなどということは、ありえない」と言う者すらいた。このように、同じ社内、同じ社会部内であっても、自分が関与していない記事については当事者意識が稀薄であったことが、吉田証言の見直しが遅れた大きな要因と言える。(中略)社内で意思疎通が十分行われず、問題についての活発な議論が行われる風土が醸成されていなかったことがある。


個別意見の中で興味深い部分を記す。

  • 何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。

岡本行夫氏)

  • 今回の従軍慰安婦報道問題の発端は、まず、粗雑な事実の把握である。吉田証言が怪しいということは、よく読めば分かることである。従軍慰安婦と挺身隊との混同も、両者が概念として違うことは千田氏の著書においてすら明らかだし、支度金等の額も全然違うから、ありえない間違いである。こうした初歩的な誤りを犯し、しかもそれを長く訂正しなかった責任は大きい。類似したケースはいわゆる「百人切り」問題である。戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、「審判」のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった。

北岡伸一氏)

 委員が指摘するようなことが行われてこなかった、できないのはなぜか。記者だといっても一組織人が解決できない問題の方が多いだろうし、属する組織が違い、「角度」をつけた経験はないが、「見出しが立たない」と言われたことはある。自らを振り返って思い当たる部分がないわけではなく、本題を140字で済ますわけにはいくまい。報告が、組織の内にあっても外にあっても自由で公正なジャーナリズム組織の実現につながれば、もって瞑すべしである。