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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

朝日新聞の「誤報」を考えてみる

 日韓関係や、まして従軍慰安婦問題は専門でもないし、関心領域でもないのだが、昨晩異国の飯店で、全く異業種の方に日本のホットイシューとして問われた。ホットイシューについて思ったことを記録しておくのは、忘れっぽい私にとって一定の意味があり、ブログの趣旨でもあるので、話した内容をもとに記す。
 また、慰安婦報道の過去の経緯そのものは専門家である木村幹氏の文章に詳しいので省く。


慰安婦問題で朝日新聞は何を検証すべきだったのか | 木村幹

 大前提として、新聞というのは*1「間違いだらけ」である。もちろん間違えないように一生懸命やっているわけだが、人間が書いて別の人間がチェックしたところで、安全装置もないのだから、間違って当然である。*2間違いがないとある程度の自信を持って言い切れるのは、ほぼ全自動で作成される株価欄くらいではないか。
 記者の中には間違いが多い人もいるし、少ない人もいる。間違いが多い記者で魅力のある記事を書く人もいる。
 一般に急いで書けば、たくさん書けば、間違う確率は上がるし、事実関係の確認なら、記者の人数の多い会社の方が多くの取材先に確認できて有利だろう。朝日新聞はその面で、日本国内で最も整備された態勢をとっている会社の一つだ。
 また、どこまで知られているか分からないが、私が知る限りでは、朝日新聞社はとりわけ「間違いに厳しい」会社である。先輩から「朝日が書いてきたら、(記事のトーンは別にして)事実関係は間違いないはずだ」という言葉を聞いたことがある。訂正を出した記事を書いた記者への処分も明らかに他社に比べ厳しかったはずだ。*3

 あるいは、それは同社が「緩やかな党派性」*4を持った新聞であった歴史を反映しているのかもしれない。
 つまり戦後続いた自民党一党の長期政権の中で、それに対抗する勢力から(仮に「中道から左派」とする)支えられてきたという経緯がある、常に政権から「誤り」を突きつけられる可能性の中で、記事を出してきた。中年以上の新聞記者ならかならず(憧れであれ批判的であれ)一度は目にしているはずの元朝日新聞本多勝一氏がどこかで「朝日は責任新聞である」と述べた所以の一つでもある。奇しくも従軍慰安婦をめぐる一連の報道は、まさにその自民党長期政権の最後となる宮沢内閣で最高潮を迎えたという。*5

 その中で立ち戻ると、誤りにはいくつかの類型があるように思われる。

  1. ねつ造(自社の記者が嘘をつく)
  2. 思い込み、タイプミス、聞き違い
  3. 判断、解釈ミス
  4. 取材先に嘘をつかれて、見抜けない


ねつ造はお金をいただいている以上論外ではあるが、その職場の気風とか、そういうものにも起因するのだろうが、各社でしばしば起きることが知られている。朝日新聞だと昭和の三大誤報といわれる「伊藤律単独会見記」というのがそれに当たるし、知事に直接取材したとして書いた記事が、取材を受けたこと自体を否定されて、発言自体が完全な作文だったことが分かったとか、そういうことは時々世間を騒がせる。

「聞き違い」についていうと、単純な記録ミスは、録音の普及で激減した(一方で、記者会見でひたすらタイプするだけの記者が増えていると聞く)。
 一方で、この中には誤報と言うにはかなり難しいケースもある。取材した相手が報道の影響に驚いて「真意と異なる」とか、「記者が誤解した」と発言するケースがままあるからだ。では”真意”とは何か、といわれても、要約して編集する媒体である以上、100%はあり得ない(仮に全文を掲載したとしても、表情とかニュアンスを伝えきることはできない)。ゆえにこういった”誤報”は、報道がコミュニケーションの一つである以上、常に起こり得る。

「判断、解釈ミス」は、、たとえば組閣人事報道でしばしば起こるし、産経新聞の「江沢民国家主席死去」などがそうなのかもしれない。断片情報を総合して、あるいは確たると信じる(できれば複数の)情報源に当たったとして、その上で「間違いない」と判断するわけだが、そうではなかったということだ。「○○を固めた」と書いて、翌日固まってなかったら(発表されなかったら)どうしよう、と思ったことのない新聞記者はいないだろう。

そして今回の従軍慰安婦をめぐる朝日新聞の報道は、4番目の「取材先に嘘をつかれ、見抜けない」にあたるのではないか。この典型的な例は、東大病院の特任研究員がiPS細胞を重い心臓病の患者に移植する治療に成功したという、2年前の誤報だ(このときは読売新聞の2ページにわたる特報が誤報だった。同社や大学の調査によると本人が虚偽の説明をした)。
 従軍慰安婦の今回の事例について、人文科学での真実性の検証は自然科学よりもはるかに難しいから、「あった」と公に言っている人がいる以上、それを伝えるという判断はあり得るし、実際朝日新聞以外のメディアも報じたのはそのためだろう。

 しばしばそういう「誤報」は(朝日新聞に限らず)ある、という前提のもとでメディアが判断を迫られるのは、それをどういう形で「訂正(修正した続報を出すことを含む)」するか、あるいは否かだ。
 先に述べたように、人間が作るものだから、間違いは無数にあり、指摘されないまま図書館に眠っているものも多い。「後日見つかった誤りは全部訂正を載せている」わけでもない。
 大きな判断材料となるのは、「当事者への影響」かもしれない。例えば、事件や事故で容疑者と被害者の名前を間違えるという誤りは、あってはならないことだが、時々起こる。当事者の名誉に関わるこう言った誤りは、判明次第直ちに、謝った上で訂正されなければならない。今回のような事例は、それとは異なるという判断がこれまであったのだろう。
 今回の記事を誤報だとした上で「被害者」というものがあるだろうか。強制連行をしたという日本側の当事者は当の吉田氏を除いて特定されていない(実在しない可能性もある)。とすれば、誤報の被害者は極めて曖昧な存在でしかなく、名乗り出てもいない。*6だからこそ、これまで修正が図られなかったという推測もできる。

 では、いまなぜ朝日新聞が報道を「訂正」したのか。池上彰氏がコラムに書いたような*7今になって「吉田証言の誤りが判明し」、過ちを「正す」ことが目的ではないだろう。*8それはいったんは”終息”したはずの従軍慰安婦の「狭義の強制性」をめぐる問題が、李明博大統領期から日韓でふたたび政治問題化し、それに対し朝日新聞社が現在の日韓関係(また従軍慰安婦問題についての安倍政権のスタンス)にさらに発言を続けていくために、立場の「修正」が必要になったということだ。
つまり、もともと「謝る」ことが目的ではない。少なくとも自分にはそう思われる。

 その立場が支持を得られるかどうかは定かではない。恐らく”右傾化した”いまの世論が支持することはないかもしれない。しかしだからといって、池上氏が論じたように「従軍慰安婦報道の誤り」について「おわびする」ということはやはり難しいのではないか。
 仮に慰安婦問題について「おわびする」ならば、同社がかつて書いた中国の文化大革命カンボジアポル・ポト政権への称賛はどうか。日本人が関わっていなければおわびする必要はないのか。
 それは最終的に、これまで読者から支持されてきた所以である「政治性」そのもの、そして本多勝一氏を例に挙げずとも、日本の言論界で名声を得てきた輝かしい先達を否定することにつながっていくからである。
 さらにいえばそれは同社に限らない。かつて各マスコミが揃って持ち上げた北朝鮮帰国事業はどうか。これには「日本人妻」をはじめ現在も多くの「被害者」がいる。こういった「歴史の評価を待つ」としてきた問題について、各メディアが自らの媒体で数十年後に訂正(さらにおわび)をするということは、これまでなかった。それはつまり、新聞が「そういうもの」であったからなのだが。

 ブーメランは、やがて自分に返ってくる。
 記者ツイッターの喝采を得て掲載された池上氏のコラムは、その点には触れていない。

*1:速報するという点でテレビは恐らくもっと間違っているのだが、紙に記録されないので多くの場合判然としない。

*2:だからといって開き直るわけではなく、最善を尽くすのは当然だ。

*3:一般に欧米の方が誤報への処分は厳しいという記者もいる。ただしこれは指摘された場合に「間違いを認めない」という形で、修正を拒否するという反作用につながる。欧米メディアが訂正を出すケースは、日本の同業者に比べて格段に少ない。

*4:本来「党派」に属する人々は商業新聞に頼るのではなく、それぞれの機関紙を購読するものだろう。

*5:ちなみに、筆者の実家は朝日新聞を購読している。「入試に出る」というので切り替えたと記憶する。大学教員をはじめとした知識階層は、朝日新聞を読むものだ、と信じられた時代がある。筆者には経験がないが、通常オフリミットなのに「朝日」の取材ならば応じるというキャリア組の当局幹部がいるという話も耳にしたことがある。

*6:もちろん「やっていない」「存在しない」のだとすれば名乗り出ようがない。

*7:池上彰氏のコラム http://www.asahi.com/articles/DA3S11332230.html

*8:吉田証言の誤りについては、私自身もかなり前に朝鮮半島が担当領域の朝日新聞の記者から教えてもらったくらいであるから、専門記者レベルの間では「周知」だったはずだ。