雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

ロシアの情と、ウクライナの心(ウクライナ・メモ5)

 キエフに来たのは3度目となった。現場に来て投稿が止まるのはなぜ、と問われそうだが、本業があるので致し方ない。
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 ウクライナにも政治討論番組があった。金曜のゴールデンタイム。「朝まで生テレビ」より一人一人が丁寧に発言し、割り込む人はなく良心的に見える。

 せっかくの現場なので、幕間になるかもしれないが、分析でなく感想を記したい。
 クリミアのロシアによる「併合」があり、東部情勢が緊迫する中、キエフは「現場」の地位から去ったかもしれない。しかし、キエフから見るロシア=ウクライナ関係を伝える人は少ない(いたとしてもスラブ語の知識がない)という状況がある。ロシアメディアが自己正当化のバイアスで自家中毒に陥っているのではないか、というほど激しい論調を投じているいまだから、なおさらモスクワの論理で物事を語るのは危険である。もちろん、米ロがすべてを決するのだという大国史観の持ち主であればそれもよいのだが。

 あるロシア人ジャーナリストが「これほどまでにウクライナナショナリズムが高まったことはない」と慨嘆に堪えない表情で語った。それは事実その通りだ。問題は、これを語ったのが、ウクライナ人でなくロシア人であり、これに悪意のかけらもなかったということだ。
 よく指摘され、かつプーチン大統領自らがクリミア編入の演説で言及したように、ロシア人にとって、ウクライナは「故地」であるが、自らの文化と民族性を至高のものと誇るロシアの人々にとって、かならずしも尊敬の対象ではない、という問題がある。
 まさにそのジャーナリストが「かつては小ロシアと呼んでいた」と語ったように、「きちんとした」ロシア語を話さない、帝国の辺地である(ウクライナという意味自体が「辺境」を意味する」)という意識が、いまだ”帝国”のロシア人には抜け切れていないのではないか。ソ連時代にまさにウクライナの豊かさによって助けられながら、自らの工業化のために大飢饉を引き起こしウクライナの農民を虐殺した上に(ホロドモール)ソ連邦時代のこととしてあいまいにやり過ごそうとする。
 まさにそこが、キエフの(ウクライナ人の多数といってよい)ウクライナ人の義憤を呼んでいるのではないか、と感じられる。

 東洋の異国から来たジャーナリストにとって、キエフはそれなりに居心地のよい場所である。物価はモスクワと比べるまでもなく、ロシアの地方都市と比べてもかなり安く、店員の愛想もよい。物資も豊富で、黒海に面するウクライナは食事もロシアよりよい(ボルシチウクライナ料理である)。
 さまざまなサービスは(英語の通用度が低いという旅行者にとって致命的な問題はあるが、それでもモスクワより英語は通じるはずだ)欧米を指向しており、ロシア特有の奇妙な官僚主義もない。 日本人にはビザも不要で、もちろん面倒な滞在登録もない。通訳の問題さえ解決されれば、世界遺産が街の真ん中にあるキエフは(京都と姉妹都市だそうだ)、観光向きの都市だと言ってよい。

 もちろん、彼らはモスクワのロシア人ほど稼いではいない。東部の方が経済状態はよいといわれるが、ハリコフ(日本マスコミが使うこの名前自体がすでにロシアバイアスがかかっており、ウクライナ語ではハリキウになる)でも月収は4万円とか5万円といったレベルである。
 社会主義時代にははるか先を進んでいたはずなのだが、すでにEUに加盟したルーマニアなどバルカン諸国にも一人あたりGDPでは後れをとっている。*1
 東部に住む彼らはもちろん、自らの経済が、消費地であるロシアあってのものであることを知っているし、ヤヌコビッチ政権の腐敗も、同時にティモシェンコ元首相を初めとする野党の無力(おまけに腐敗している)もよく知っている。「連邦制」かどうかはさておき、自分の税収を自分の地域のために使ってほしいと願っている。

 だからといって、東部はロシアになりたいのか、といえばはっきりと「否」なのだ。なぜなら、彼らは「ロシア語を母語とするウクライナ人」であって、「ロシア人」ではないからだ。
 今日のキエフのテレビ討論では、「シェフチェンコウクライナを代表する詩人)よりプーシキン(ロシアを代表する詩人)を優れているとする教育の問題」が「ロシア語で」熱く討論されていた。*2
 親欧米派とされ、ロシアに非難されているような元ボクサーで旧野党「ウダル」のクリチコ党首は、デモ隊が集った独立広場で「満足にウクライナ語を話せなかった」という。キエフ市民の多くは家庭でロシア語を話しているし、東部のドネツク・ルガンスク(これもロシア語表記)で政府庁舎を占拠するデモ隊を「強制排除する」と言っている親欧米派新政権のアヴァコフ内相はアルメニア出身でロシア語しか話さない。 ロシアのメディアが作りあげる「危険なウクライナ」のイメージとかけはなれた現実がある。

 仮にクリミアを併合し、東部にさまざまな工作を仕掛けるロシアの背後に、エカテリーナ女帝の征服以来の故地であるクリミア、さらに近縁にあるウクライナを「救おう」とするロシア側の情があるとすれば、それは押しつけの善意でしかない。ロシア語を話す彼らの心はやはり、ウクライナにあってモスクワにはないからである。まして、ウクライナ欧州連合(EU)という、何とも魅力のある(しかし実際の便益は不明な)魔法の壺に魅入られているとすればなおさらだ。
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 キエフでは「クリミアはまだウクライナ」である。このテレビ局とチョコレートは、次期大統領最有力候補のポロシェンコ氏が経営。
 ロシア人ですらEUの一員になりたいくらいなのに(対EUのビザ緩和交渉には国民の関心が集まっていた)、なぜ関税同盟でカザフスタンと組まなければならないのか。さらにいえば、すでにクリミアを取られた上に、なぜにロシアと同盟を結び直さなければならないのか。個別政策や政治勢力の問題はさておき、これがいまのウクライナの多数を占める「心」ではないのだろうか。 

*1:しかし、ソ連時代の最先端地域であったので、地下鉄などを含め、インフラは整っている。この20年間がいかに「失われた時代」であったかということにある。

*2:これは簡単な議論ではないが、いわゆる大作家に優劣を付けるという考え方は、日本人はとらないだろう。