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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

ロシアの決断と動員と(ウクライナ・メモ4)

 22日にヤヌコビッチ政権が事実上崩壊し、旧野党勢力による政権掌握が進んだ。この段階の動きは洪水のような情報量の中で進んでおり、たとえキエフにいたとしても何が起こったのかはっきりと把握することは至難であったに違いない。米国はこの段階の動きを歓迎し「幅広い勢力が参加した挙国一致の実務型政権」の発足を求める声明を出している。マイダンを支配した野党勢力が「勝利」に酔い、ロシアが反撃に拳を固めた1週間が始まる。
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 23日には大統領権限が暫定的に最高会議議長へと移った。本来ウクライナ憲法では大統領の空席時には首相が代行を勤めることになっている。いわゆる「新政権の正統性」という議論をする際に、合法性に欠けていると指摘するロシアなどは、この時点での問題も指摘する。

 しかも本来の最高会議議長であるルイバク氏(地域党)は「病気」を理由に22日に辞任しているのだ。後任にはティモシェンコ派のトゥルチノフ氏が選出されている。「革命」とみなすか「クーデター」なのか正統性の是非の議論はここではしないが、ともかくも「政変」であったことは疑いない。

 23日にはもう一つのターニングポイントがあった。ヤヌコビッチ政権時代に制定された、ロシア語話者が10%以上の地域でのロシア語の公用語としての使用を認める、とする法律を最高会議が撤廃したことである(その後、廃止は棚上げされている)。これもロシア側が「ウクライナ民族主義者が掌握した新政権によるロシア語話者への圧迫」の象徴としてたびたび非難に使われている。

 しかし、いずれの点でも腑に落ちないのは、最高会議の再選挙は本稿の時点までいまだに行われていないのであるから、旧政権与党だった地域党の議員が(離党者が多数要るにせよ)議会の多数を占めていた(そして、いまも占めているはず)である。あるいはウクライナ政治の悪弊である「寝返り」がまたも横行していたのだろうか。

 さて、新政権側のアバコフ内相によると、ヤヌコビッチ氏はこの時点ではクリミアにいたようだ。しかしウクライナ側の情報でも23日深夜から28日にロシアのロストフ・ナ・ドヌーに現れるまでの間の行方が分かっていない。ロシアの国営メディアは27日に、ヤヌコビッチ氏がすでにロシアにいる、と報道していた。としても去就には3日半の空白が残る。どこで、何をしていたのだろうか。

 翌24日にロシアは23日のウクライナ野党側の行動に対し初めて明確なリアクションを起こす。「正統性に疑問がある」とメドベージェフ首相が発言し、5月に大統領選を前倒ししたことに対しても外務省が「疑念」を表明した。外務省声明は西側に対しても「一方的な地政学上の計算で動いている」と非難のトーンを上げている。

 声明は声明として、ではロシアによるクリミアへの介入を決断する時期がいつだったのか、ロシアはどのような理解の下に、どれくらいの期間をかけて準備をしたのか。しかもそれはシナリオの中だったのか、あるいは外だったのか。それは極めて重要な問いなのだが、これに現段階で答えを示すのは困難だ。
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 一つの示唆となるのは2月24日のニューヨーク・タイムズの記事だ。記事は、21日「合意」に至るまでの協議の際、フランス、ドイツ、ポーランド外相と会談中に、プーチン大統領から電話が入り、消極的だったヤヌコビッチ氏の「態度が変わった」と伝えている。この記事が事実だとすれば、ヤヌコビッチ政権に結果的に事実上の引導を渡した「2月21日合意」はロシアの最高意思が反映した内容であったことになる。この合意を「一方的に欧米が反故にした」と感じられた瞬間、何らかの決断が下された可能性はもちろんある。*1

 ただ、それはいつなのか。クリミアという地域をターゲットにすることは、いつ特定されたのか。
 プーチン氏がウクライナに隣接する西部軍管区と中央軍管区で大規模な「抜き打ち演習」の開始を指示したのは26日のことである。現段階から振り返れば、この演習開始は、クリミア介入のための部隊移動のカモフラージュと見ることができる。この時点でクリミアにいわゆる「匿名ロシア軍部隊」を大規模に派遣する決意は固まっていたとみることができるから、決断は24日から25日のいずれかの時点ということになるだろう。
 クリミアで親ロシア派のデモが広がり始めたのは25日とされている。26日には議会と行政府の前で、新ロシア派とクリミア・タタール人らのウクライナ新政権の支持者が激しく競り合った。27日には両施設が親露派「武装集団」に占拠され、議場が封鎖された状態で政府指導者が親露強硬派のアクショーノフ氏らに交替する決議を実施、さらに「住民投票」の実施が決議されているが、この「武装集団」には匿名ロシア軍の一部(先発隊!?)が関与していた、と判断できる材料がある。
 この点からも25日までにロシア指導部内で何らかの決断が行われ、速やかに(作戦計画通りに?)部隊展開を行った、とみるのが穏当ではないだろうか。

*1:しかし、ヤヌコビッチ政権が急速に求心力を失っていく中で、この2月21日合意が実際に履行可能であったかはかなりの疑問が残る。