雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

3隣国との国境イシュー

 2012年10月現在、日本の最大イシューは尖閣諸島の問題になっているといってよい。歴史的にみれば、勃興する中国と、少子高齢化で国力のピークを過ぎつつある日本との間で、初めての本格的な応酬である。まさにプロイセンの勃興に直面した20世紀初頭の英仏のような脅威感が、いま日本に満ちているように思える。

 それに先立ち竹島李明博大統領が上陸し、北方領土にメドベージェフ大統領・首相がたびたび訪れるようになってもいる。それぞれ数年前までは一部の関係者と専門家しか意識になかった問題が、まさに日本外交の最大懸案になった。当事者は頭が痛いに違いない。

 すでにどこでも報じられているように、これら3つの問題は、歴史的経緯が少しずつ異なり、現在の優勢劣勢もそれぞれに異なるという、かなりややこしい問題だ。それぞれの問題について著作も多く出ているわけで、ここで書き切れるような話でもない。中国という大国の勃興という中のほんの一側面なのだから、現実的に即効性があり、しかも持続可能な妙案なんていうものはちょっと思いつかない。とりあえずは警察力から軍事力へのエスカレートを防ぎつつ、日本が未だ若干の優位にある海上警察力(海上保安庁)を駆使して、上陸を防ぎ続けるという策を続けるしかないだろう。

 それだけに、中国政権内の内部抗争が反映しているに過ぎないとか、民主党から自民党に(維新の会に?)政権交代すれば一気に改善に向かうとか、そういう甘い話ではないことだけは、はっきりと言える。

 

 かようにこの問題はそれぞれ難しく、当事者は長年にわたって限られたリソースの中で努力を続けてきた問題でもある。ただ、これら3島とも、その島の領有自体に、「ほとんど価値がない」ということは共通している。だから解決に割けるリソースが限られてきたのだ、ともいえる。

 と書くと、尖閣には石油があるとか、漁業権はどうしたとか、そういう指摘がきっとあると思うのだけれども*1、石油というのは、資本主義世界では「ある」だけで価値を生むものではなく、「市場価格より安い値段で掘り出すことができて」初めて価値を生むものだ、ということを頭に入れておく必要があると思う。

 尖閣諸島の石油というのは「ひょっとしたらありそうだ」というレベルのものである。もし本当に価値があって掘れる(採算に見合う)のなら、とっくに掘っているし、日本が掘らなければとっくにいろんな国が介入して戦争になっている、世間とはそういうものであろう。

 石油は国際商品でもある。他国で出たとしても、日本に売るのが一番有利であれば、つまりお金があれば相当程度の確実性で買うことができる。*2。資源はあるに越したことはないように思うのだが、実際資源を持っている国が繁栄しているか、といえば必ずしもそうではないのが人間社会の業である。

 

 漁業資源でもよい。北方領土は日本の領有に正当性があるとして、ではその海域で漁をするということを、世界一人件費の高い日本人がやるのが本当に有利なのだろうか、というのは、消費者の立場なら一度考えてみる必要があるだろう。

 返還を求めながら、結局戻ってきても医師も確保できない限界集落が大量に増えるだけ、というのでは、何のための運動か(気持ちだけでなくお金もつぎ込むのだから)ということになる。尖閣も、竹島も、経済的には定住を維持することが困難な離島であることは、どこの国に帰属しようが変わらない。

 日本の人口はこれからどんどん減っていく。少ない人口を効率的に割り振っていかなければ、豊かな生活を維持していくことは難しい。

 

 とここまで書いてきたが、だからといって3つの領土問題を放置しておくべき、というものではない。それはそれを考えるべき立場の人が、長い将来にわたる利益をよく考えて決めるのがよいと思う。ロシアはアラスカを売却して未だに失敗だと思っているようだが、そんな後悔の残る愚を繰り返すと、売った方だけでなく、買った方ともずっと気まずくなって両国の友好関係にも傷が残り続ける。

 尖閣については日米安保条約との兼ね合いもある。米国は安保条約の適用対象(だって米軍の演習場だった)といいながら、実際にことが起こった場合に、実力で介入することには消極的であって(それは、「島に価値がない」のだから、貴重な米軍兵士の生命を危険にさらしたいとは思わないのがむしろ自然)、それに勘づいた中国側がチキンレースを仕掛けている、という状況とみてよいのではないか。

 

 わたしが恐れるのは、武力による威圧というのは、双方がそれを望んでいなくても不幸な偶然の連鎖で、大規模な武力衝突に発展する可能性が皆無ではなく、歴史には不幸にもその実例が多いということである。

 バーバラ・タックマンの「八月の銃声」には、ゲームの参加者それぞれの誤算、「威圧すれば相手が譲歩してくれるはずだ」という甘え、最後通牒という名の安易なチキンレースが収拾不可能な第一次世界大戦という総力戦を引き起こすさまがビビッドに描かれる。

八月の砲声 上 (ちくま学芸文庫)

八月の砲声 上 (ちくま学芸文庫)

 もちろん正しいものが勝つ、というのがよいに決まってはいるのだが、絶対的な正義なんてものがあるという考え方自体がそもそもうさんくさいし、「絶対」といった時点で妥協ができなくなる。外交交渉とは常に相手のあること。つまりは妥協の産物である。だからこそ、知恵を絞って文書をまとめ、会談をし、長きにわたって持続可能な、精密な妥協を目指すのである。

 万人の叡智が不幸な事態を避け、最大の利益をもたらす方策を見いだすことを願う。

 次回は中東の現状について考えてみたい。