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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

震災から1カ月

【10日付ツイッターの書き込みのまとめ】
 東日本大震災の発災から1ヶ月。あいかわらずツイッターのタイムラインが福島原発で埋め尽くされ、NHKのニュースもまだ福島原発一色だ。気分が平時に戻らないだけじゃなく、東京の論調をみると、東京にリスクが及ぶ可能性がある原発関連の情報に関心が寄せられる半面、宮城や岩手の災害救援と復興への関心がそっちのけになっているんじゃないかと強く危ぶむ。
 ただ評論しているだけではなく、この災害にどうかかわるか、自らのこととして考えなければいけないのだと。しかし、東京をはじめとした大都会で「避難所が足りないんで、一家に一人以上福島県の子供連れ避難民を受け入れてください」という話になったときに、どれだけの人がイエスと言えるか。
 むかし海外で、ある国の首都の難民キャンプを取材した。がらんとした学校に、市民が避難していた。戦争を仕掛けて負けた国だった。飢餓にあえぐ国ではなく、国際支援も入っていた。隣のマリオットホテルでは富裕層が飽食、マクドナルドも平常営業。しかし避難所には全くものがなく、一汁一菜も間に合っていなかった。政府が頼りにならない代わりに、ほとんどが親類を頼って「自主避難」していた。いま親類が頼れる日本人がどれだけいるか。
 広域避難は理想的だが難しい。親は空襲を避けて東京から疎開した経験がある。母親(つまり祖母)の実家だったというが、気兼ねと遠慮とひもじさで思い出したくもない体験だったと語ったことがある。
 頼れる血縁がいたとして、親切な人がいたとして、そこに頼るのも、そんな快適なはずもない。そういうどうしようもない「しがらみ」から離脱したくて、だからみんな田舎から都会に出てきたのだ。いま地方に不安を抱えながら、かの地に未だとどまっている人々に、安全な都会の高みから「ああすべき」と偉そうに語っても説得力はない。
 いま国が能力の限界を露呈している。まあ「小さい政府と緊縮財政」が世界流行のいま、それは失政ともいえないのだけれど。では、エジプトのように政府に対し直接行動するか。それもいやなら自分の生活を自分で守り、助けられる隣人は助ける、そのどっちかしかないんじゃないだろうか。
 自分の周りは少なくとも安全でありたい。それは自然な心境だけれど、政府にリスクゼロの保証を求めても、何の意味もない。全ての人のエゴを満たすことができる人的、社会的、物的な資源があるのなら、国家なんて要らないのだから。
 ところでみなさん、これだけ大事な時期に、選挙には行ったんでしょうか?