読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

福島原発についてのメモ(おまけ)

政治・経済・国際 メディア

 東京で放射能の危険をツイートして回る人は、避難したくても逃げられない事情がある原発の近くの福島・宮城の被災者の気持ちに少しでも思いを寄せてほしいと思う。これまでに書いたけれども、怖かったら逃げていい。でも水面下でパニック寸前の状況の中で、恐怖を扇動するのは罪深い。いまは平時じゃない。普段なら笑って許せるようなウソが、有事にパニックの導火線となった事例も多い。
 友人でもママ友でも、閉じた範囲で呼びかけるのはかまわない。でも掲示板に書き込む、さらには実名でツイートするという行為は、地下鉄の車内で「原発放射能は危険です。皆さん逃げましょう!」とプラカードを掲げて乗っているのと変わらない。発表が信じられないならそれもいい。でももともと政府は国民のリスクをゼロにできるわけじゃない。
 国民の危険ゼロを求めるなら、いますぐタバコと自動車の流通は禁止。どっちも代替手段がないわけじゃない。政府の線引きには限界がある。その限界は理不尽でない限り許される。だから民主主義が必要なのです。そこから先はデモして国に要求するか、個人として逃げるか。でもパニックを扇動するくらいなら一人で逃げて。
 人は見たいものを見る。絶対安全と言えなれけば危険じゃないだろうかと思うのは自然。一方、人が原子力の火を手に入れてから、多くの不幸な事故、広島・長崎への加原爆、列強の核実験もあり、「この程度ならたぶん(絶対じゃない)大丈夫」との知見もある。レントゲン技師も毎日被曝する。ゼロリスクの要求は個人の自由だけど、何党が政権を取っていようが、政府はもともと「完全な」安全を保証するようにはできていない。
 IAEAがいっているように、北西の残留放射能が多いのは事実。飯舘村は避難が必要かもしれない。しかし、放射能のゼロリスクを求めて、未だ満足に支援が届かない津波被災者が多数いる半径数十キロ全域に国が避難命令を出すことが人命を守ることにつながるの?次の避難で死者がまた出かねないのに?