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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

エジプト政変を巡るメモ3

政治・経済・国際

 近しい人で中東についてよく知らないだろう人に向けて備忘録を書いたつもりが、案外の好評のようで、ちょっと驚いています。ご高覧ありがとうございました。細かい事実関係を調べてみると間違いも見つかったりする(しょせんメモです)ので、表現については細かくアップデートしたりしています。お許しを。
 メモその3はフィードバックというか、これまでの事態と議論を見てきての感想。

  • リーマンショックごろまでだろうか、今もそうかもしれないが、「中東の政治・経済的重心はいまや東に移った」という語られ方をされてきた。かつて戦後長らく中東のイシュー=パレスチナ問題=中東戦争であり、それに関連したレバノン内戦であり。これが「西=地中海沿岸」である。
  • 「東に移る」の意味は、もちろんドバイ、カタールに代表される湾岸諸国の経済的興隆であり、核開発を代表としたイランの政治的存在感の高まり(つまり"諸国が一致して制裁しなければならないほど"の存在になったということ)だ。
  • 日本でよく称揚されるテレビ局、アルジャジーラカタール首長直営のテレビ局である。その報道を支えているのはタクシー運転手の月給がせいぜい500ドルという国で「運転手に月給3000ドル」払える潤沢な資本にある。もちろんこのお金は視聴者からのものではない。
  • いまのハマド首長は開明的として知られ、アルジャジーラの行動の自由を尊重するパトロンとして振る舞い、エジプトの争乱もアルジャジーラは詳細に報じている。が、自分の国にまで民主化デモが飛び火したとして、それをきちんと報じるかは興味深い。おそらくデモを起こさせない自信があるのだろうが。
  • 「今の中東は3極からなる。それはトルコとイランと、ちょっと落ちてエジプト。それを理解せよ」と中東人にいわれたことがある。この3国はいずれも人口が多い「大国」。もちろん、こう語ったのはエジプト人ではないのだが。
  • かつて世俗社会主義をベースにしたアラブ・ナショナリズムが一世を風靡した時代があり、エジプトは間違いなく”アラブの盟主”だった。いずれもイスラエルと隣接し、アラブの文化的主流をなすエジプトとシリア。両国が連合国を作っていた(エジプトが支配した)時代もあるくらいなので、今後シリアの動向は注目すべきだろう。
  • 情報機関モサドを擁して、自国の周囲を注意深く見張っているはずのイスラエルも今回は慌てている。イスラエルの穏健派新聞ハーレツの翻訳がよく心情を語っている(ハーレツは英語版がありますが、日本語訳は貴重です)。包囲されるのはイスラエルにとって決定的な危機となる。エジプトとの関係が危機に瀕するの時間を稼ぎつつ、高く売れる時期を見定めつつ、アサド体制が存在している間に一気に反対側の対シリア和平に動いたりするシナリオは…ないか。
  • エジプトとシリアがアラブを文明的にリードした時代は長いのだが、ここ20年ほどでエジプトの地位が中東内で相対的に低下したのは明瞭な事実でもある。
  • その中での今回の政変。植民地を機械的に線引きした国と違って、エジプトは地理的歴史的にまとまった国家で、国土を二分しての内戦ということはない。その中で軍代表とムスリム同胞団による暫定政権の樹立が進みそうだ。
  • イスラエルとの戦争を全く想定していないというのなら、エジプトの軍備はあまりに過大だ。だからといって軍はイスラエルと戦争したいわけではないだろう。「イスラエルとの戦争を潜在的に意識し続けよ」と国に訴えかけて予算と組織を確保してきたのだろうが、現実の軍備は完全な米国依存、という矛盾。イスラム主義勢力は「民意」を盾に対イスラエル強硬路線(ガザへの封鎖解除ほか)を求めるだろうが、軍は断固拒否するだろう。親米か反米かの踏み絵は、その辺から始まるのか。世俗野党はいつ現れるのか、ついに存在しないまま終わるのか。
  • はっきりさせておかなければいけないのは、イスラム主義政権、という選択がムスリムにとって悪いわけではない、ということ。その選択によってエジプトは多くの政治的経済的利益を失うかもしれないが、どんな政体を選ぶかは、あくまで国民にゆだねられる。
  • ただ、これまで樹立されてきたイスラム"原理"主義政権で行われてきたことは何か。風紀統制、宗教的少数者の圧迫、女性の人権の侵害、剥奪だったのではないか。
  • イスラムは豚肉、酒、チャドルだけではない。サウジアラビアでは女性は車を運転できない、姦通罪を死刑にしている国もある。同性愛は犯罪。犬は飼えない。女性が社会進出している国もあるけれど、たとえば人前での女性独唱は禁止、飲食サービス業は不可だったり。女性がテレビで芸能活動するだって!?
  • これは”正邪善悪”の問題ではない。もともとそういうルールなのだということにつきる。それに必ずしもイスラム自体が不寛容というわけではなく、おのおのの民族の社会規範や文化水準に由来するものもあるので、それぞれの文化を尊重するのなら、やむを得ない面もあるだろうと思ったりもする。
  • しかし、たとえば欧米のように自由な私生活を守りたい女性の選択を尊重する立場、異教徒を含め「私は戒律を守らず生きていきたい」という人の選択をも尊重する立場というのは、これまでのイスラム(原理)主義を唱える政治勢力には存在してこなかったのではないか。
  • その中で、日本で女性や少数者の地位向上を求める立場をとってきた人が、どうしてエジプトでだけは、イスラム主義勢力にシンパシーを感じることができるのか。エジプトのイスラム主義はきっと異教徒、女性の人権を尊重するに違いないと、なぜ根拠なく期待できるのか。もしそれが単なる異国趣味、と表現するとかなり語弊があるけれども、"オリエンタリズム"に由来してるのだとすれば、それはちょっと安易にすぎる。
  • 「エジプトのムスリム同胞団は組織体が高齢化し、穏健化している」と識者は分析する。現状分析としてはおそらくその通りだろう。ただ、人間は勝ち馬に乗るものだし、勝ち馬に後から参加した人間は、もとから組織にいた人間よりも強硬な主張をして存在感を高めようとすることも多い。いま「(非公然)野党」のムスリム同胞団が穏健さを増しているからといって、公然化し政権を握ったとなれば、穏健さを保つ保証はないと思う。ただこれも、あくまで可能性、リスクの問題に過ぎない。
  • そこまで考えてくると、「市民の力で、きっと良きイスラム政権が成立する」という議論は「現存する社会主義国家はだめだが、いつか望ましい社会主義に達するはずだ。今度こそ、そのために運動するのだ」とかつて語られてきた議論を思い起こさせることに気づく。そうならないことを祈りたい。