雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

Don't worry, Be Jewish.

 というTシャツがベングリオン空港に売られていて(諸般の事情により購入せず)、これがかの国の「気分」をよく代弁していると感じた。
 同僚が「この国は1000人死ぬまで(作戦を)止められないんですね」と話す。先の第2次レバノン戦争での死者が約1100人、今回の死者も1300人以上の死者が出たところで停戦。
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 2006年の戦争と違うのは、彼我の死者数の比率。イスラエル側にも約160人の死者が出た前回と異なり、今回の死者は10人あまり。ユダヤ系市民は圧倒的に攻撃を支持している。
 なので、イスラエル側からすれば作戦は「成功」になるわけだが、死者のうちどれだけがハマスの戦闘員か、もともと判然としない。ハマス職業軍人はいない。しょせん「民兵」組織である。多数の一般市民の犠牲が出ていることをイスラエル側も否定はしない。1対100のキルレシオが明らかになれば、「これは一方的虐殺だ」という人がいておかしくない。
 この問題、いわゆる「パレスチナ問題」の根っこにあるのは、イスラエルが主張する「生存権」とは突き詰めていえばなんなのか、ということにある。
 イスラエルは「生存」を望み、「平和を望んでいる」のだが、「何をしたいのか」「何があれば十分なのか」ははっきりしない。意識的にはっきりさせていないのかもしれない。ヨルダン川西岸とガザ、シナイ半島ゴラン高原を占領した第3次中東戦争以後、イスラエルの行動はパレスチナ・アラブへの反応、あるいは報復という体裁を取っている。もちろん外から見れば「反応としては過剰すぎる」行為なのだが、「反応」「対応」といっている間は、イスラエル側は「本当の生存権とは何か」をはっきりさせないで済む。*1
 「生存権」のためにヨルダン川西岸の支配と入植地の維持が本当に必要なのだろうか。エルサレムに2国の首都をおくことはなぜできないのか。なぜイスラエル領内でパレスチナ人と共住できないのか。国論は定まっていない。
 イスラエルは極めて民主的な国家だが、その民主主義は世論から疎外された集団がいることが前提だ。パレスチナ難民はもちろんのこと、イスラエル国家内には多数のアラブ系イスラエル人が住んでいる。彼らは「2級市民」として扱われていることに不満を鬱積させている。イスラエル国家は彼らに兵役を課さない。つまり、国家の構成員として信頼されていない、ということになる。
 もちろんこの背景には、シオニズム運動に基づく「移民国家」であるイスラエルの特殊性があり、その国民心理のさらに奥には、ナチスドイツのホロコーストから60年以上を経て、中東最強の国家になったいまでも消えることのない、ユダヤイスラエル人の被害者意識がある。
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 それはやむを得ないのだが、しかし、相手をぶん殴って持ち物を奪い、「分かって欲しい。イスラエルは平和を望んでいる」と呼びかける”ジャイアニズム”を繰り返しても、長期的な平和構築は望むべくもない、というのも残念ながら事実だ。
 建国から60年を経て、イスラエルという存在がはらむ問題は、小さくなるどころかむしろ大きくなっているように思える。パレスチナ難民とアラブ系イスラエル人の出生率ユダヤ系よりはるかに高い。冷戦崩壊後旧ソ連から大量の移民を迎えたことで人口構成的には一息ついているが、ヘブライ語を覚えず、信心深くもない彼らの流入が、ユダヤイスラエル人の中に別の軋轢を引き起こしてもいる。
 「イスラエルはガザから撤退したのに、ガザからのロケット弾攻撃がやまない」ことが、今回の攻撃の直接的な理由だ。しかし、長期的な「和平」が必要ならば、それは西岸やガザに形ばかりの「パレスチナ国家」の創設を許すことで終わるはずもない。
 「約束の地」は狭い。イスラエルの「首都」エルサレムと、パレスチナ側の「暫定首府」ラマラは車で30分もかからない。イスラエルには国際空港が1つしかない。それで済んでしまうほどの広さだ。*2
 突き詰めていえば、ユダヤ人とパレスチナ人は「併存」するだけでは済まず、おそらく「共存」せざるを得ない。「民族浄化」の元祖のような土地なのだが、旧ユーゴと違って、お互いに宗教上譲れない場所が多すぎる。最終的にはイスラエル領内にもパレスチナ人が住み、同等の市民権を得ることが必要になってくる。
 しかし、それはおそらく、イスラエル国家の「ユダヤ性」放棄につながる。アラブ人がイスラエル国家を防衛のために徴兵に応じるところまでいかなければ、「長期的な和平」は望めない。しかしそれはまだ「イスラエル」なのか、「もはやイスラエルではない」のだろうか。
 それはこれから百年以上のスパンでみればおそらく必然なのだけれど、それを受け入れられるのはいつになるだろうか。今やパレスチナ問題は「イスラエル対アラブ」の問題ではなくて、「イスラエルそのものアイデンティティ」の問題になっている。
 それが納得されない限り、人が死に続ける。.

*1:もちろんこういう行為がまかり通る背景には「パレスチナ全域の解放」という主張を下ろさず、しかも民主的な組織と言えないハマスのありようがある。

*2:イスラエル人はそこでまた「こんな小さな国を虐めなくても、アラブは広い土地を持っているじゃないか」という。