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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

下品な自由

メディア

 日本人にとって、イスラム圏で暮らす際の障害がある。まず三大タブーとして挙げられるのが、ポルノグラフィー、豚、酒。
 そのタブーにも度合いがあって、上記の順番でムスリムは「許せない」と考えているようだ。他にも例えば、犬はダメだし、ビジネスの分野では貸金に利子を取ってはいけない(これはイスラム金融の技術で、現実的な回避方法があるそうだ)。ほかにもハラルミートの手法とかを言い出すと、さらに細々とした制限が加わる。逆にタバコには比較的寛容だ。
 上の3つだが、どれも一種の嗜好性というか、「ないと暮らせない」ほど禁断症状がある人と、「別になくてもいいや」という人の間でばらつきが大きいもののようだ。

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 イスラム圏でも外国人が多く、比較的寛容なドバイを訪れた際に、聞いてもいないのに「女の子と”いろいろ”遊べる店」を親切に教えてくれた日本人を私は知っている。「ドバイに来るたびに入り浸っている人(駐在員)も多い」そうだ。 もちろん、私は大いに謝意を表明したが、実は自分自身はあまり関心がなかったりする(なので行っていない)。
 豚についても同様。出張から某イスラム国へ帰任する際に「スーツケース丸ごと豚肉」という”密輸”を敢行した人を知っているが、彼は「トンカツがないと生きていけない」そうだ。ちなみに私はトンカツは嫌いな食べ物の筆頭。
 もちろん酒は飲まない人もいるし、飲めない人も日本人にはかなりいる。
 一方で犬なんかさすがにどうでもいいだろう(往来に犬のふんがないのはよい)と思うが、「飼い犬と別れるくらいなら死んだ方がまし」というくらい犬を愛している人の存在も聞く。
 イスラム圏で「きちんとした人、まじめな人」は、「そんなもの」に触れたり食べるとは、「信じられない」という。
 それは構わないのだが、「そういうものが好きな人もいる」ということを理解できず、「悪行は矯正しなければ」と考える人が世の中にかなりの数存在しているのも事実。で、そういう人が力を持ち出すと、一気に不寛容な社会が生まれてくる。
 さらにいえば、世の中の天才は大体において奇人変人だから、彼らの行動を制約することで文明の進歩が止まるという側面もある気がする。まじめな人だけで構成されている社会というのは、正直言って「退屈」だ。
 他者の行為や言動に対し、不快感を表明するのは、どんな社会でも自由であってよいと思う。しかし、その先が、どうも洋の東西を問わず、「許せないから(こういう主張では”みんな”という言葉がよく使われるが)、国家が規制すべきだ」という主張につながりがちなのも、また事実だ。
 自分は「そんな下品なこと」しない、自分は「お下劣なものに関わらない」としても、好きな人、興味を持つ人がいる限り、そういうものは存在し続ける。それを「潰してしまえ」と拳を振り上げるのか、あるいは片目をつぶって市場に委ねる度量があるのか、それは社会の成熟度を示しているのかもなぁ、と思ったりする。