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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

トリエステ市電

旅行・地域

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 イタリアの東の端、トリエステに行った。トリエステは実に不思議な街だ。オーストリア海軍の基地があったそうだが、ドイツ人が作った街の中にイタリア人が住んでいる。第2次大戦でチャーチルのいう「シュチェチンからトリエステまでの鉄のカーテン」の最前線となったトリエステ周辺は1947年国連管理下の「トリエステ自由地域」となった後、その後の冷戦期にイタリアとユーゴスラビアに分割された。
 現スロベニア領のピランコペルといった港町も自由地域内だから、広い意味でのトリエステということになる。いまはスロベニアシェンゲン協定に加盟したので国境の検問所は消えているが、言葉の上でも生活の上でのラテン圏とスラブ圏の境界はきっちり残っている(相互の往来は盛んなようなのに、イタリア側とクロアチアを結ぶ直通列車が夜行列車1本だけというのはどういうことだろうか。お陰でゴリツィアとノヴァ・ゴリツァの間をアメリカ人と相乗りタクシーで移動する貴重な体験をしたが)。
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 地形的には鎌倉というか長崎というか。海に臨み港のある中心街の狭い平地を包囲する裏山があり、山の上にはまた平地が広がる。裏山の向こうはぐるっとスロベニア領。
 そのトリエステの港と裏山の保養地、ヴィラ・オピシーナ(Villa Opicina)を結ぶトリエステ市電。ほんの5キロほどなのだが、途中でケーブルカーと連結して裏山を登るいう、世界でも珍しい路線。山を登る途中のトリエステ港を見下ろす夜景は絶品だ。アドリア海の魚も楽しめて、トリエステは今回の旅で一番印象に残る(訪問が日曜だったのが残念)街だったのだが、日本ではまだまだ地味な存在。時間に追われる生活を止め、隠居したらイタリアに住みたいと昔から熱望しているのだが、また訪れることがあるだろうか。