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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

死刑執行

旅行・地域

 この国でなじめないことの一つに、死が身近だということがある。遺体の写真が平気でテレビで放映されていたり(もちろん、遺体の写真や映像を決して流さないと決めているのは日本くらいで、欧米メディアもしばしば写真を使うことがあるけれども、だからといって野放図に流しているわけではない)、善悪とは別に、ある意味「簡単に」人の死が取り扱われる感じがする。体制に殉じた、たとえばテロの犠牲者や、イスラエルに対する武装闘争での死者は「殉教者」として扱われているる。それはそれ、国情もあると理解はするのだけど、そういうこととは別な感情なんじゃないかと思えてならない。
 何と言えばよいだろう、「善行であれ悪行であれ、何かの行為をすると人が死ぬのは当たり前」のような感覚が奥に潜んでいるような気がしてならないのだ。「20年前に終わった長い戦争のせい」という人もいるが、もっとたくさんの人が戦争で亡くなった日本で、終戦から20年を経た昭和20年ごろに、そんな感情が支配的だったとも思えない。
 ちなみに、アムネスティ・インターナショナルの統計によると、この国は世界第2の死刑大国である。前日に30人処刑すると予告を流し、結局夜明けとともに29人を執行した。今回の執行は公開ではなく、刑務所内で行われたが、ある種の予防効果も期待してか、国営放送は一日中トップニュースでこの話題を放送していた。
 今回の執行対象は殺人や麻薬密輸、組織暴力の対象者などで、政治犯は含まれていない(とみられるが、公表されていないだけかもしれない)とされる。日本人として最も驚きなのは、国営放送が、執行前の死刑囚に一言ずつコメントを求め、死刑囚が平然とした顔で(もちろん、平然としてない人もいるのだろう。29人全員のコメントではなく、放映されたのはうち数人である)感想らしきものを述べていることである。一応は”悪党”として断罪されている人間なわけで、「従容として死を受け入れている」わけでもないのだろうけれども、国営放送はご丁寧に手錠をされた29人が最後に執行場所に向かう姿まで放映していた。
 自分は死刑制度が絶対悪だとは思っていない。死刑しかあり得ない犯罪というものもあり得ると思っている。しかし、公開での処刑といい、死刑執行前のインタビューといい(インタビュアーはどんな気分でインタビューをしているのだろうか)、きわめて感情豊かな人々が住んでいるこの国の中で、平然と語られているる生死の感覚というものに、どうしても違和感を感じずにはいられない。
 そういえばこの国の交通事故の死亡率は世界最悪レベル。ゴーカートのように車を運転する身なりのよいご婦人ドライバーの姿を車の窓越しに見るたびに、はたして命の価値とは何なのか、考えさせられる今日この頃なのだ。