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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

内在的理解?

政治・経済・国際

 中東地域の観察を業とし始めて、まず脳裏に浮かんだのはこの言葉だった。この地域の内在的理解は、はたして可能なのか。
 まずはっきりさせておかなければいけないのは、われわれ=日本人は未だ、E.サイードの「オリエンタリズム」の呪縛の中にいるということだ。われわれ、遠い極東の民は、この地域を「正確に理解しなければならない」という切実さを持ち合わせてはいない。

オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)

 その反語として、数少ないこの地域の専門家とされる人々は、本来の議論を始める前に必ず、「この地域を正確に理解する必要がある」という訴えかけをを余儀なくされるのである。
 それは研究予算を確保するためか、新聞に記事を載せるためか、あるいは研究機関にポストを得るためか、さまざまな動機があるだろう。しかし、研究者が「この訴えかけ」を伴った瞬間、「内在的理解」はある種の変質を余儀なくされる。「あまり知られていないこの地域」と書いた瞬間に、理解は「内在的」ではなくなるのだ。
 訴えかけとは、要するにこの地域に関係を持たない人への「功利的な呼びかけ」である。要は「この地域を知っておけば得になりますよ」と声をからす行為だ。なぜ中東を知らなければいけないのか。たとえば「石油の大半を輸入している中東地域は、日本にとって死活的に重要である」。「中東の映画は面白い」「酒と豚が禁止の…」プロの研究者がこの呼びかけを始めた時点で、すでにその「知」は、内在的理解から離れていっているのだと思う。

 ただし、強調しておきたいのはわたしは「内在的理解」至上主義者ではない。むしろ逆だ。「知」の動機はむしろ功利的であった方がよい気がする。「いかに円滑に石油を輸入するべきか」ということを入り口にした研究は、「不純」であり「内在的ではない」だろうけれど、決してレベルが低いわけではない。
 むしろ、切実な目的を達成するためには、より深く相手のことを知る必要がある。アラブと日本の間では、石油ビジネスを除いた関係はきわめて希薄だけれども、彼らが政治的(軍事的)行動を決定するに際しての政治的・宗教的動機、意思決定メカニズム(principal)とはいかなるものなのか、石油価格はそれに大きく依存している。

菊と刀 (講談社学術文庫)

菊と刀 (講談社学術文庫)


 ルース・ベネディクト「菊と刀」を書いたきっかけは、日本との戦争だった。米ソの冷戦は、米国人によりソ連を知るための動機づけとなった。ソ連からの亡命者・移民に対する広範な移住者調査は、現在においてもソ連研究に大きな遺産として残る。
 現在イスラエルによるイラン攻撃が取りざたされている。緊張が高まるにつれ、「西洋発」の報道が洪水のように、津波のように中東について報じている(皮肉なことに「西洋発」の視点による報道が、中東人自身によって書かれもする)。
 攻撃が現実化するか否かにかかわらず、戦争を行わなければならないほどの利害の衝突がもし存在するのであれば、それは一方で「相手を知る」切実なきっかけともなりうるはずだ。しかしイラク戦争を経ても、米国のイラク理解、中東理解は深まったとは全く思われない。アラブからイスラム教徒がどれだけ英仏に移住しても、欧州のイスラム理解は深まらない。そうならないところが、西洋と中東の間の、現在最大の悲劇なのではないか、といま感じている。
現存した社会主義―リヴァイアサンの素顔

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