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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

illiterate

旅行・地域

 事情をご承知のみなさんが多いと思うが、しばらく多忙につき失礼しておりました。
 ここしばらく繁忙期だったので、通常体制に加え、いろいろなアルバイトさんなんかも使っていた。小生は現地の言葉ができないのだから、英語ができる人という条件になるとギャラは跳ね上がる。簡単な例を挙げると食べ物の出前一つ頼むにも、小生→英語ができる人→注文先→トラブル→英語ができる人が再度指示→到着→小生が支払い。みたいな複雑な経過をたどる。もちろん時間もかかる。
 ついでに言えば支払いをしてレシートが出ないのはもちろんのこと、「釣りがない(数百円レベルでも)」なんてことはしょっちゅう。というかこれまで、釣りを満額準備してきた出前の配達人に会ったことがない。

 同業他社と話す機会があった。スタッフを4人雇っているという。1人目は「助手」。2人目は「秘書」。3人目は「運転手」。4人目は「庭師」。「庭師は必要なんですか!?」と聞くと、「3人目の父親」だそうだ。さらに他の会社に聞くと「庭師」がいない代わりに「料理人」がいたりする。
 一見無駄なように見えるこういった雇用だが、外国企業が安易に切ると大変なことになる。彼らには彼らの横のネットワークがあり、さらには裁判所や政府も外国企業に好意的でないのが中東の常。下手をすると駐在員の任期が終わっても「出国できない」なんてこともあり得る(出国許可を出す条件に「裁判で係争中でないこと」なんて条件があったりする)。
 仮に例を挙げたが、これにはきちんとした階級がある。お互いの領分に口を出さないのが不文律で、給料も全く違う。
 例えば1人目と2人目は英語ができ現地水準で超高給。3人目は片言の英語と現地語の読み書きができ世間並み。4人目はいずれも怪しい、という感じだ。
 交渉ごとが不得手な小職は、4人を直接雇用する代わりに、アルバイト(この国で英語を使いこなすわけだから超高給だ)や、運転手の派遣契約(中間段階があるので直接雇うより高い)を使って、労務・雇用問題を回避している。
 しかし人数がいるから生産性が高いわけではもちろんない。たとえば、アルバイトに「掃除人に(現地語で)ここを掃除してもらいたいんだ。君はその前に業務終了で帰宅するから、現地語でメモを残しておいてくれればいい。僕はオフィスに残っているから、それを掃除人の彼に渡せばいいよね」という、言葉が通じない場合によく使われる手が、ここでは通じない。
 この国で決して珍しいことではないのだが、掃除人は”illiterate”(文盲)なのである。アルバイトの勤務時間はもちろん決まっていて、次の仕事(家事だ)が控えているから、残業はあり得ない。そうすると、「ここを掃除してもらいたいんだよなぁ」という切実な願いが、何日経っても掃除人に指示が伝わらない、オフィスは汚いまま、みんなが不快な思いをする。なんていうことも現実問題として起こり得る。

 逆説的に言えば、この国では「読み書きができないから掃除人」なのであり、「英語ができないから運転手」なのである。給料も職業によって決まる。「カリスマ掃除人」や「カリスマ運転手」はいない(日本でもそうかもしれないが)。
 職業の階層はかくして構築される。極めてマレにいる「英語のできる運転手」というのはたいてい訳ありで、長期にわたって雇い続けることが難しかったりする。
 しかも前述したように、庭師の息子は、たとえば運転手であり、代々同じ会社で働くことも多いのだ。この国で運転手が休暇を取るとき、代わりを務めるのは、タクシー会社が派遣してくる別の人間ではなく、同じ運転手の仕事をしている親戚であったり、息子なのだ。
 ビルに住み込んでいる掃除人の彼は好人物だ。小生が未だ持ち得ない家族もあり、たまに可愛い息子さんを一緒に連れてきて、オフィスで息子さんを遊ばせていたりする。自分の掃除人の仕事に息子を同伴して現れる、日本ではとても許されないような「人間くさい」行為が、逆に「ボスと家族ぐるみになる」職業倫理として、この国を支えている。
 小生より英語が堪能な「助手」によると、この国では地方の農村から実入りのいい仕事を求めて首都へ出てくる人間は引きも切らず、そのため働き手の不足する農村は、アフガニスタンから(合法、違法を問わず)の労働力に頼っているという。大陸国家らしい話ではあるが、いまは石油景気で建設ラッシュの当地ではあるが、いったんバブルがはじけたら、十分な職が残っているか、はなはだ心許ない。
 小生は一度、掃除人の彼の身の上話をぜひ聞きたいと思っているのだが、そこに立ちはだかる言葉と文字の壁は、果てしなく高い…。