雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

「ジョジョの奇妙な冒険」

 「ジョジョの奇妙な冒険」が、OVA(いわゆるアニメ版)でのコーランの不適切な使用で出荷停止になった、という記事は目にしていたけれど、記事を書いた会社に電話をしたりといった騒ぎになっているようだ。ちなみに集英社などのオフィシャルな対応はファンサイト「@JOJO」が詳しい。
 日本のネットで流れている論点は主に3つ。まず最初の記事がマッチポンプではないか、全体としてみれば(少数の、それに気づいた人々だけの)主張なのだから、それを公にして煽るのはどうかということ、次にイスラムの人がほんとうに怒っているわけでもないんじゃないかということ、さらに最後は、そもそも海賊版じゃないか、違法の海賊版を見て文句をつけるのはどうよ、という点だ。
 小生はイスラムの専門家ではないけれど、この記事がマッチポンプであるかどうかは、じつはあまり関係ない。それでも(おそらく全く知らなかったであろう)集英社はやはり対応をとって謝り、回収せざるを得なかったと思っている。「ネット上で盛り上がらずに消えかかっていたのだから、そのまま臭いものに蓋をする」という考え方は、一ファンの心情としてはあり得ても、ひとたび広まったときのリスクを考えれば、やはりまっとうな企業の取る対応ではない。信仰というのは人間の感情のうち最も強いものの一つだから、ひとたび火が消えたとしても、何年、何十年経ってもっと激しく燃え上がることは十二分にあり得る話だからである。
 かつて、ブリヂストンが発売したタイヤの溝(トレッドパターン)がコーランの一節に似ているということで、謝罪し回収という騒ぎになった事件があった。ブリヂストンのタイヤ設計者が、コーランを読めたとはどう考えても信じられない。どうみても偶然の一致なのだが、それでも回収せざるを得なかった。この例を引かずとも、「コーランへの侮辱」という考え方はイスラム教徒にとって「不快」という感情を超えるものがある。
 彼らにとっては、損得だとか、議論の余地のある話ではない。そもそも全能の神が作った「聖典」なのであり、すべての人がイスラム教に改宗することが望ましい、という考え方の上に立てば、異教徒だからとかアラビア語を知らなかった故の過失だからとか、海賊版だから著作権上の責任はないとか、そういう人間世界の法律や責任論の考え方にはそもそもなじまない(もちろん多少の影響はある)。
 コーランへの尊重というのは、イスラム国の人々には(もちろん感情の濃淡はあるにせよ)、「許されないこと=悪」という、もっと無意識的、かつ絶対的なものだ。

 西洋的な、国家と市民の関係における言論の自由とか、法律的な過失論とか、そんなことよりも、彼らにとってのコーランへの尊重義務というのは、はるかに「高い次元に」ある話であって、そもそも異教徒でアラビア語も分からないからしょうがないなぁ(それなら最初からアラビア語の文章を引用しなければよいのだ)とか、悪意はないんだから(悪意があったらもっと大変なことになる)とか、大目に見るとか、そういう議論の対象にはならない。知った以上は「謝って、取り消してもらわなければ、(彼らも)困る」話なのだ。そういう面では、むしろ彼らの名誉に関わる話というのが適切だろう。
 日本人はこと宗教や信仰に関しては、きわめて柔軟な人々なので、どうあってもこの辺のことを理解することはできない(小生も十分に分かっているわけではない)が、経済的な合理性とか、ビデオを作り直すのはもったいないとか、妥協した方が得だとか、そういう議論にはならない。

 だから、今回の報道がなくとも、いつかこの問題は発火点に達し、火がついた問題なんじゃなかろうか。なぜなら、今回「ジョジョ」を巡る報道に異議を唱えた人は、「ジョジョ」が駄作ではない=後々まで残りうる傑作だと考えるがゆえに、騒ぎとなったのだ。今回たとえ記事が出なかったとしても、修正されないまま後々まで残れば、誰かが見つけいつか再び火が付く。それが明日なのか、10年後なのか、50年後なのかは分からないが。
 しかし、子供向け作品の傑作「ちびくろサンボ」や「タンタン(Tintin)」でさえ、発行後50年を経てその差別性故に相次ぎ発行停止に追い込まれていることを考えれば、ここで「見て見ぬふり」を続けたところで、いつかは燃え上がる類の問題だったのではないだろうかと思うのだが。