読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

沈まぬ太陽−アフリカ編

書評・映画・音楽

 ちょっと生活が落ち着いてきて欲が出てきたというか、ようやく本が読める状況になったということだろうか。
 大ベストセラーである。「白い巨塔」も20年前に読んだことがあるけれど、医療技術とかも進歩しているのに最近になってまたテレビドラマ化されて大ヒットしたというところからしてすごい。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)


沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) (新潮文庫)


 さて、某航空会社がモデルになっていることは隠しようもないのでJALと書いてしまうし、実はこの主人公のモデルになった人物が小倉寛太郎氏であることも特定されているようだ(モデルとして報道されているし、本人も小説に沿った内容を東大・駒場祭で講演している)。組合の委員長を引き受け、それが引き金となって報復を受け、カラチ・テヘラン・ナイロビと「海外の僻地」を転々とするという話ではあるが、世代の違いなのだろうか(モデルの小倉氏は1930年生まれ)、山崎豊子という作家の筆力は凄いので面白いことは面白いのだけど、どうも感情移入できないというか、そんな読後感がある。
 端的に言えば、若い世代は、この書評に書かれている通り「左遷されて、第2組合作って差別人事されて、たしかにひどい会社だね。でも会社がそんなにひどいならどうして辞めないの」という結論になってしまうのではないか。
 もちろん子どももあり、妻もおり、家族の生活があるだろう。けれども、「母親の死に目に会えない」と号泣するシーンがあるが、今の感覚で言えば、「ならどうして海外展開する航空会社に入ったんだよ」という話になる。この小説が発表されたのは1960年代でなく、21世紀である。現代の目から見れば、仕事に対してそこまでの責任感、義務感を負う必要もないんじゃないのか、これは「歴史小説」なのか?と思えてしまう。

 「僻地だ、ひどい」と赴任先の3国をくさしたところで、もちろん30年以上前の話であるから、もちろんかの地での生活は大変だったのだろうと思う(今でも大変だと思う)が、小説にも叙述があるように、商社やメーカー、船会社の駐在員は当時から赴任していた。
 「彼らは2-3年で戻るからいいじゃないか」という筋になっているのだけど、よその会社はよその会社。現実に皆がそういった「保障された」生活を送っていたとは限らない。
 モデルとされている小倉氏は実際はケニアで狩猟に親しみ、3度にわたって(最後は自らの希望もあって)ナイロビに赴任していたそうで、引退後は動物写真家として著書もあり、世知辛い今のご時世からいえば「それは結構な駐在員生活でしたね」とさえ言われてしまうのではないだろうか。*1

 もう一つ言えば、小生は企業内組合というものに対して、この小説の主人公、恩地元とちょっと違った認識を持っているということがあるのかもしれない。
 アカであろうがシロであろうがかまわないのだけれど、本来企業内組合というのは(時代状況、会社の経営状況含めて)「労働条件改善にできることをする」のが基本ではないか。もちろんそのために色々な戦術行使はあり得るだろうと思うけれども、会社なくして組合なし、というのが現実でもある(それが嫌な人は職種別組合を作るしかない)。恩地は何度も「組合活動に関わらなければ帰国させる」とのオファーを受けているのに、それをも頑なに断っている。
 他人の命を預かる航空会社の安全確保や労働者の待遇改善は命に関わることだし、絶対に安全でなければならない。しかしいま(現在)の視線からみると、それをする主体がどうしても労働組合でなければならないのか、はたして労働組合しかあり得ないのか、とも思う。作者の叙述はJALにはびこる「政治コネや天下り入社」を厳しく批判するけれども、主人公のとるスト戦術行使自体も「当時の日航特殊会社であった故に許されたもの」という側面があることには触れていない。コスト制約のない国営であれば安全なのか、というと、過去の諸国での歴史をたどると必ずしもそうもいえない。そこが安全とか技術の信頼性といったものの難しさである。恩地のような志の高い人ばかりで組織が構成されていればよいのかもしれないが。ほんとうに世間というものは難しい。

 いまやオープンスカイの時代となり、JALがカラチやテヘラン、ナイロビから事実上撤退してずいぶん経つようだが、実際には僻地であればあるほど事務所の維持は難しく、本書で出てくるようなカラチやテヘランでの路線開設交渉や定期便の運航オペレーションをするためには、無能でやる気の萎えた人間では務まらず(たんに「事務所を置いているだけ」になりがち)、それなりに機能させるにはむしろ相当な能力と意欲が伴う必要がある。
 そうでなければまともに仕事が進まない(それでも日本の何分の一の生産性だろうが)というのが現実である。作者に微妙な考え違い(というか演出違い)が感じられるのは、”ご栄転”の米国欧州と違って生活するだけでも大変なのだから、そこで仕事をするのはもっと難しいと考えなければいけない。(それができてなかったから企業として問題があると言いたかったのだろうけれども)。

 部分的に事実を含むとはいえしょせん「小説」に過ぎないのではないかというのが正直な読後感だけれど、叙述がリアルすぎて多くの人が「小説」として読めないという罪作りな小説である(また、JALの一部労組もそれに便乗し「実話」だと主張してしまったがゆえに、問題がさらに複雑になっている)。
 最後に、企業小説というものはそれなりに面白く、有名企業であればあるほど興味深く読めるのだけれども、やはり御巣鷹山の事故は小説にしてはいけないのではないか、と思うのだが、どうだろうか。*2

*1:小倉寛太郎氏の講演から事実関係引用

*2:ちなみに文庫版の3巻までしか持参していないので、小生はエンディングを知ることはできない→その後全部読了しました。特段この感想を変える必要はないかと思いましたが