雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

玉砕主義よりは緩慢な死を。。。

と書くとまがまがしいけれど、要は自分が働いている業界の話である。

ご多分に漏れず私の働いている会社でもネットからの浸食が話題になることはあって、まあ外勤記者の私は半分知らんぷり、半分は聞き耳を立てているわけですが。

 ガ島通信氏の”電通が「2005年日本の広告費」を発表、ネット好調の影で新聞は…”から引用すると、「マス四媒体では新聞が最も落ち込んでいます。(中略)新聞関係の広告を知っている人に聞くと、『種類別では、全国紙に比べて、県紙・スポーツ紙・夕刊紙がやや低調』とリリースにあるように、東京から地方への広告出稿が減ったようです。これまでは「地方紙に一律出稿」していたクライアントが、リーチ率などを考えて選んできている」そうで、まあ小生の体感とも一致しているような気もします。

 ただ、これは一方で数字のあやでもあるような気がします。(以下推測交える)
 主として地方紙広告が低調な地方は、実は広告の落ち込み以上に地場経済が落ち込んでいる、というのが実態でしょう。しかも、私が初任地に行ったときには、当該県の高齢化が東京(か全国平均か失念)より10年進んでいることに衝撃をうけたものですが、そういう地方では高齢化もずっと進んでいる。
 購買力が落ち込み、人口が減少する地方で広告主がそのまま広告を維持すること自体が基本的にあり得ないわけで、これ自身が「新聞がネットに食われた」ことを意味するといいきれないでしょう。
 私が広告主の立場でも、そういう地方に(たとえ当該新聞のシェアが高くても)広告を出すなら、東京のスポットCMや広告に出稿するでしょうね。物を売るっていうのは、そういうことではないか。要するに、「これまでの広告出稿が地方の経済力の実相に見合わない、過大なものではなかったのか」ということを検証する必要があります。今が適正水準なのかもしれません。

 「ネット広告に食われた」というのも、ある意味で正しい。広告主が見抜いているように、ネットをやるような世代の購買力が、相対的に高いからではないか。
 ネットで遊ぶにはクレジットカードが不可欠です。クレジットカードを持ち、しかも積極的に利用するのは若年〜中年層であり(私の両親はカードを決して使わない)、しかも有職か、有職者の家族である必要があります(地方に多いだろう自営業者や年金生活者がカードを持つのはより難しいでしょう)から、かれらの生活水準は決して低くはないだろう、しかもこういった世代の多くが東京などの巨大都市圏に住んでいるだろうことも容易に推測できます。

 さて、ここまで書いてきて、「じゃあ地方のメディアの将来は電通やガ島通信の言うように(全国紙やテレビ局に比べ)真っ暗ではないか」と思った方は、「それも半分正しく、半分間違っている」と答えてみたいと思います。
 仮にWeb2.0派(仮称)が言うようにパラダイムシフトが進むとしても、それは都会より地方ではより遅く、さらには(都会に多い)中年・青年層より(地方に多い)高齢者層ではずっと遅く進むだろうと思います。
 当然ながら、高齢者の購買嗜好は保守的で、新しい物を売るのは難しいが、これまでの顧客を維持するのは移り気な若年層より簡単かもしれません。
 しかも未曾有の高齢化社会ですから、彼ら高齢者の占める割合はどんどん増えていきます。要するに、紙の新聞は逆に地方で根強いのではないか。
 つまり、「先に影響を受けるのは地方かもしれないけれど、最大の影響を受けるのは都会」じゃないんでしょうか。

 「たとえばそれで何年生き延びたとして…」といいますが、日本人はいつも「じり貧を避けようとしてどか貧になる」くせの持ち主です。
 仮に”不治の病”でも10、20年先には”特効薬”(有効な対応策)ができるかもしれない。国内外の未曾有の社会変動の中で、より遅くまで生き残ることには十分な価値があるはずです。
 テレビが来ても新聞は生き残ったし、こぞってテレビに進出した新聞社と、進出しなかった新聞社で、生死を分けたわけでもありませんでした。
 要はいたずらに悲観して玉砕に走ることなく、必要なのは塹壕にこもり、されど情報収集と変化への対応準備を怠らず、ってことだろうと思いますが。

P.S:やっぱりクレジットカードに代わる少額課金のモデルができるまでは、Web上の世界の情報ビジネスは不完全でいびつなものになるだろうと思います。情報の値段に比べて決済コストが高くつきすぎますから。かといって無料で情報を売れるほど、新聞社は商売うまくないから…