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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

「帰国運動とは何だったのか」

書評・映画・音楽

帰国運動とは何だったのか―封印された日朝関係史

帰国運動とは何だったのか―封印された日朝関係史

 北朝鮮の「日本人妻」の取材をしたことがあります。豊かな今の時代、北朝鮮に好んで帰る人がいるとは考えにくいことですが、本書を読むと、半世紀前に熱狂的に起こり、多くの悲劇を生んだ北朝鮮への帰国運動(韓国流に言うと「北送」)の事情が見えてきます。
 1950年代後半、日本から北朝鮮への「帰国運動」で、在日朝鮮人約9万人が帰国しました。しかし、一部ではよく知られていることですが、在日朝鮮人は多くが現在の韓国(南朝鮮)地域の出身で、社会主義体制にもなじみはありませんでした。
 しかし日本で差別の中で暮らし(国民健康保険も適用されず)、多くが生活保護を受け、明日をも知れぬ生活の中、「帰国した方が幸せになれる。生まれてきた子どものために帰国しよう」と考えて「自主的に」帰国した。
 そして、「社会主義建設を進める祖国」への左翼陣営による過大な評価(例えば本書で批判的に紹介されている寺尾五郎氏による「38度線の北」が典型)、そして困窮する在日朝鮮人への生活保護費の負担を減らし、「貧しい朝鮮人の口減らしをすることで」、社会安定を図りたい当時の日本人の本音もこれを後押ししました。

 本書によると、朝日新聞が帰国運動の時期に北朝鮮を「地上の楽園」と記載した事実はないそうですが、むしろ保守系産経新聞に至るまで、国内世論こぞって日本赤十字社と朝鮮赤十字社による「人道的行為」の名の下、朝鮮総連の関与する在日朝鮮人の帰国運動を肯定したのが実態でした。
 その後半世紀を経て急速に経済成長を遂げた日本と韓国に対し、北朝鮮は硬直した経済体制により困窮の度合いを著しくしたわけですが、高度成長前の「なべ底景気」の中、当時この結果を正確に予測できた人間はまずいなかった(ので、高度成長後、帰国希望者は激減した)。
 そして、「帰国者の多くが『無一文』であり、医療を求める高齢者や子どもの比率が極めて高かった」(本書)こと、また資本主義の空気を吸った「異分子」たる在日帰国者の存在は、独裁体制の確立を急ぎ、また豊かでもなかった北朝鮮体制にとって、大きな負担となったことは間違いないでしょう。

 本書を読むに、彼らが帰国し、その後さまざまな苦難を味わったたことについて、一部の北朝鮮礼賛者の著述を除いて、誰かを責めることは難しいことが分かります。それは結果責任でしかないようです。
 しかし、「帰国先が韓国でなく、北朝鮮だったのは、北朝鮮が帰国船を自ら用意し尊し向けたのに対し、韓国側が船の費用負担を日本側に要求したため」(本書要約)。
 朝鮮総連の成立過程など、細かい記述もされていますが、今にしてみればそんなつまらぬ違いだったのかもしれません。日本も朝鮮半島も、まだ船賃で人の運命が決まる時代だった、ということでしょうか。

 もちろん「帰国運動とは何だったんだ」と一番痛切に振り返っているのは、私ではなく、帰国者と帰国者の周辺にいた人々であるはずなのですが…