雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

そして、知った記者が逮捕された!?

 北海道新聞高田昌幸さんのブログに「そのとき、記者は逮捕された」という話が載っていました。実は小生、人づてに事の全容(当然記者の実名も含まれる)を聞く機会があり、大いに衝撃を受けました。それは、逮捕された記者は、私のよく知る記者だったからです。

 ここで、そのことについて書く前にまずお断りしておきたいのは、私が得た話は人づて、つまりまた聞きなのです。個人としては、情報の出元から判断して確度は高いと思いますけれど、それでも本当かどうかの確証は何もない。ですから、ここでやはり名前を出すことはできないのです。
 で、その記者「だとしたら」、記者クラブで机を並べたこともあるし、私的に飲みに行ったこともあります。年賀状もやりとりしているし(確かに突然「県警担当を外れた」と書いてあって「異例だな」とは思いましたが)、携帯電話の番号もメールアドレスも知っていたりします。
 さて、高田さんのブログでは彼についていろんな感想が書かれています。つまるところ彼はどうなのでしょう。私がクラブで一緒に働いてみた感想では、「至極まっとうな記者」ということに尽きます。
 例えば尼崎の脱線事故で、「暴言を吐いた」とされる読売新聞の記者のような、無謀な、言葉を換えれば「強引な」取材をするタイプではないです。これは言っておきたい。
 しかし、取材するべきところはきちんと取材するし、当局に言うことも言います。私と違って特ダネも書きますしね(笑)

 彼は転勤し、私もほどなくしてその街を離れました。別の街で県警担当をしていると聞き、その街の場末で一度飲んだことがあります。夜遅くまで仕事をして、疲れた様子でしたが、いつもの彼でした。
 結局、高田さんの書いたようなことが本当にあったのか、あったとすれば真相はどうだったのか、私はまだ直接彼に聞く気になれないのですが…

 しかし、こうも思うのです。彼はまじめで優秀な記者です。だから、会社の要求にできるだけ応えようとしたのではないでしょうか。
 会社、組織の要求は、時に矛盾するものです。「強引な取材は困る、当局との対立も困る。が、優れた結果を出せ」。ここでは優れた結果=特ダネです。それができれば苦労はしません。
 そして、結果とは何か。当局がその「関係者」を逮捕したときに、一問一答が取れているのか、取材拒否でも接触できているのか(関係者に接触できていれば、結果が「知らない」「お答えできない」でも、逮捕時に紙面掲載できるのがこの業界の慣行です)。
 この業界での評価は、つまりそういうことに尽きるのです。

 一部に指摘があったように、権力の監視を志せば、時に警察を始めとする権力と対立するのは仕方のないことです。記者にとって逮捕が名誉、「向こう傷」になる場合もあります。
 特に《民主主義が定着していない》国では、記者が逮捕されるのは、その記事が権力の問題点を暴く、優れた報道だったからこそ、という面があります。
 だから必ずしも逮捕=不名誉ではありません。
 そして、現に地検の判断で不起訴になっているわけですから(起訴猶予なのか嫌疑不十分なのか分かりませんが)、結局のところ「罰せられるべき罪」ではなかったわけです。

 《筆者注》「日本に民主主義が定着している」かどうか、そこが高田さんと高田さんの文章を批判する人々の間で、まさにその根底の認識が異なっているような気がするのですが。だからどれだけ議論してもかみ合わないのではないか、と言う気がします。

 最後に、彼が多少強引な取材手法をしたとして、私はそれを責める気にはなりませんし、その資格もありません。
 確かに彼は「悪い」のかも知れません。でも、彼の仕事ぶりを知っている身からすれば、彼がやらなければ、彼の属する会社の人間かは別に、彼ではない同業の誰かが逮捕されていただろうと思います。それを属人的な責任に矮小化するのは適当ではないと思うのですが。
 まず責められるべきは、明示か黙示かともかく、そういう取材手法を要求しておきながら、それがひとたび悪い結果をもたらすや、直ちに記者の処分という形で切り捨てた、その会社ではないのでしょうか。

 ある意味悲しいことですが、サラリーマン記者にとって、仕事ぶり、取材の仕方は、結局会社の評価体系で決まってきます。いかに取材を良心的にやっても、例えば「会社の求める結果」が出ずに外勤から外されれば、記事を書く機会は(退職しない限り)永遠に奪われるのです。
 それをさておいて、記者個人の良心だけに倫理を求め続けるのは、「運転士がちゃんと運転しさえすれば事故は起こらない」と、安全装置の整備をさぼっていたJR西日本のまさに「日本的な精神主義」と、あまり変わらないような気がします。