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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

「希望格差社会」

書評・映画・音楽

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く


 「若年失業」の問題は、いずれの先進国でも深刻だ。バブル崩壊までの日本は、唯一その問題を抱えていない「幸せな国」だった。ネオナチもそうだったし、果てはイスラム原理主義や、カルトに類するものだって、そういう中で若者の中に入り込んでいくのである。
 しかし、グローバリゼーションの波とともに、日本でもそれは突如、深刻な形でやってきた。諸外国のような転職市場も整備されないまま、リストラで放り出される社員。リスクを避けるため郵便配達に殺到する旧帝大卒の若者。少子高齢化の急速な進行とともに、それは既に世代間戦争の形を取りだした…。
 しかし、若者の政治的無関心、そして「パラサイト・シングル」の形で親の庇護が依然続いている(これは旧枢軸国に多いそうなのだが)の故に、それは依然潜行しているのだが、そう長くは持つまい。少子化を解決する最後のチャンス、団塊ジュニア無為無策のまま、まもなく出産適齢期を過ぎようとしているからである。

 この本は、著者の学部での講義ノートをもとに書かれているそうである。
故に、大変読みやすい(「先生」の書いたものとしては)。また、現在の若年層の抱える問題を、網羅的に上手く説明していると思う(講義で学生にちゃんと聴いてもらうためなのか、やや扇情的な見出しが目につくが)
 一方で、上手く説明されているけれども、目新しさはない(学部の授業が目新しい理論で埋め尽くされているというのも、それはそれで困るわけなのだが)。それと、現状説明の上手さに対して、原因と解決策の貧弱さがどうしても感じられてしまった。
筆者がほのめかすように、「これが社会学の手法だ」、といえばそれまでなのだが…

 筆者の主張する唯一最大の処方箋が、「若者に希望を与え、夢を『健全にあきらめさせ』る」ことである。しかし、「勝ち組」の中核社員は、団塊の世代をはじめとする中高年層を支える(施策をとる企業を支える)ため疲弊して家庭的幸福を追求するゆとりなく、「負け組」のフリーターは明日なき刹那を余儀なくされている中、いったいどうやって希望を与えられるのか。

 この本に一つ書かれていないことがある。それは筆者自らも所属する、「大学教育」の無為である。日本の大学の文系学部は、学問の自由を名目に、一切職業教育を行ってこなかった。
 新聞学科を出ても新聞記者になれず、法学部を出ても法律関連の職種に就けない。今は教員養成学部を出ても教員になれない!
 逆に大学院で現象学を専攻した人間を記者にしても、その知識は宙に浮くだけである(「哲学には人間存在を知る意味があるから、それはどんな職業でも役立つ」なんて詭弁は、グローバリゼーションの中ではもう意味がない、というか、そもそもその言葉が今の若者や企業の担当者に届いているのなら、こんなことにはならないのではないだろうか?)。

 新規学卒一括採用→終身雇用であれば、その問題は決して大きくはなかったかもしれない。しかし、「手に職」がない状態で、新卒で就職できぬまま狭い既卒市場に放り出される若者を考えれば、これがもっとも深刻であることは分かりそうなものだ。
 医学部とロースクールは数少ない例外だが、ロースクールは全員に職を与えられない、という点で、完全に落第である(例えば卒業者には司法書士の資格を与えるとか、そういうことはどうして考えられないのだろうか?)。
 専門職大学院も作られようとしているが、専門職大学院修了者に、専門職が与えられなければ、ただの金の無駄である。ジャーナリストスクールを出てジャーナリストの業界の端っこにでも入れなければ、何のための勉強だか分からない。まして、フランス文学の大学院を出たとして、それに関わる業界で生きていけるのは、ほんの一握りだ。
 日本の大学が「劣っている」のではない。そういう学科も、勉強もあっていい。
 でも、「大多数学生のニーズに全く応えられていない」のだ。大学生活の思い出が、予備校通いだなんて、全くもってどうかしている。それを産学官で考え直すのが、一番の早道だと思うのだが。
 米国のように、リベラルアーツで優秀な成績を収めた人間を優先して就職が保証される職業大学院に送り込む、そんなことだっていい。それなら、すくなくともリベラルアーツも生き残れるわけだ。今すぐ叡智を結集しなければ、間違いなく手遅れになる。これだけは保証できる。