雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

老舗和菓子屋の店員より

 「老舗の和菓子屋」(ガ島通信on日経BP)という表現を用いたエントリが物議をかもしています(かしれない)。
 私は、この例えは悪くない。むしろなかなか上手いんじゃないかとさえ思っています。
 で、老舗和菓子屋店員(笑)たる私の対処法は何か。
 まあ、「老舗だったら、結局お菓子の味にこだわるしかない」ってことだろうと思います。基本的には。いまさら洋菓子に手を出してもやっぱうまくいかないし、ブランドイメージを傷つけることになるかもしれない。


 ただ、問題は、「これまでより味が落ちているんじゃないか」と思っている人がいて、その原因が作り手にはよく分からない、ってことなんでしょう。
 製造過程に問題がある、という人もいるだろうし、読者=食べる人の味覚が変わった、という意見もあります。
 ガ島氏は接客の問題を指摘しています。「接客=紙面の取っつきやすさ」みたいなことと考えると、確かにそれはは良くした方がいいかもしれないけど、本当にうまい菓子を作れば、客はついてくる、というのも一面の真理。本質的には味の問題なのでしょう。

 そういうとき、会社はどうするでしょう。よくある手は別ブランドで洋菓子屋を立ち上げてみる、アンテナショップという常套手段があります。「参加型ジャーナリズム」の模索なんていうのがそれに当たるんでしょうか。
 で、そのうち最終的にそっちが主力になるということもしばしば。
 で、たとえば新聞社という資本そのものが生き残ることがそれほど一職人にとって重要なのか(当然愛着はありますが)どうか?
 資本としての新聞社がポータル傘下になったところで、和菓子屋の一職人や読者(常連客)にとってそれが決定的に問題になることはないんじゃないか、という意見を持っています。確かに、味わいが変わってしまう、元の味がよかったのに、というお客さんも出てくるかもしれないけど。。。

 つまり、それで報道の質が低下するとか、メディアというパイが決定的に縮小するとか(そんなことはないような気もするけど)、そういうことがあり得るのか。
 あったとして、それはそのときの資本と顧客が考えるしかないテーマでしょう。今職人が懸念しても、やれることはあまりないような気がします。
 のれん分けして新しい店を立ち上げるならよく考えた方がいいのでしょうが…

 もう一つ、こういう問題を考えるときは、必ず、どっから見ているか、「視座」の問題を離れることができません。
 ガ島さんは、いま「マスコミ業界内」の立場から書いているのか、「業界外」から書いているのか。「業界」ってどこまで?

 ガ島氏のブログはマスコミ、特に新聞社という閉ざされたギルドの内部の人が告発(笑)している、というところが面白さの源泉なんだろう、と私は思っていました。
 外部の人から見たら「内部の人がここまで言うとは勇気がある」ってことになるでしょうし、業界内の人間にとっても「考えたことなかったけど、確かに言われてみればそうだよな。考えなくちゃな」という面白さがある。では、「外部」に変わったらどうか、そうすると同じことを書いているのにもかかわらず、「外部にいるくせに偉そうな」ということになっちゃうのではないか。

 ギルドという言い方は語弊があるかもしれないのですが、多分、同業者じゃない読者の人、特にブロガーの人は、それなりにきちんとした文章を構成できるような知的蓄積があるように思えます。
 で、そういう人はやっぱりなんらかのギルド的なものに属している(「企業」とか「金融」とか「IT」とか「法曹」とか「官僚」とか)ことが多いわけで、それぞれにやっぱり外部にはうかがい知れない掟があるわけです。
 で、実際よそのギルドのしきたりを知るのは興味深いですし、ましてマスコミのような、「みんなが知っている」つもりのところにそういう掟があって、ギルドの知られざる裏面を知るわけですしね。でも、じゃあ勤め人の弁護士が、裁判が公開されているからと言って「同僚の弁護士の裁判はなってない」とブログで書いて、同業者の拍手喝采を受けるかといえば「ノー」でしょう。別に新聞社に限らず、いずこの世界でもギルドというのはそんなものなのです。
 まして、「俺は弁護士やめてロースクールの教授になったから、しがらみがなくなってもっと辛辣に批判できるわいな」と言い出したら、「人の苦労も知らないで、じゃあおまえやってみろ」ってギルド内の感情的な反発をくらうのは目に見えているわけです。私はそれでもいいと思っているわけですけれども、それは私が業界に愛を感じていないからかもしれませんね。
 実際マスコミ業界といっても、新聞から外資系金融情報通信社、ワイドショー、週刊誌のスタッフ、ライブドアPJまで入れたら、やっていることは全然違います。
 それぞれに知人友人がいたりする(ライブドアはいませんが)わけですが、私がいる視座はもっとも古い活字メディアの社員記者ですから、そこから業界を見ると、「テレビ、特にワイドショー『なんか』と新聞の取材・報道を一緒にしてくれるな」という考えは社内にとても強いです。
 で、それが記者クラブ制度擁護論の強い根拠にもなっていると思います。
 けど、殺人事件の聞き込みや、尼崎の脱線事故で遺族取材をしているときに、滅多に取材を受ける機会がない一般市民の取材を受ける人たちが、そういう区別をきちんとできるのか。
 それはできなくて、むしろ一緒くたに考えて「マスゴミはけしからん」になるのが自然なのではないか。
 しかもワイドショーのスタッフ(テレビ局の社員ではないはず)なんかは、いかにもテレビ局の報道局員のような顔をして、そういう名刺も持って誤認を与えるような取材をしているわけですよね。私個人としては、メディア不信が高まる中で、そういうことを平然と許している民放テレビ局の問題は大きいと思います。 では、受け手、視聴者・読者にとってもその区別ができるのか。

 私だって学生の時はニュースと情報番組の違いとか、そんな区別知らなくてテレビ見てました。しかも、テレビは大きい事件になればなるほど、一瞬の映像の印象が強い。理性ではなくて感情のメディアですからね。映像になっていれば、み
んな正しいように見えてしまう。実際はその前後に猛烈な編集が入って、ないはずの音楽まで付いていたりするわけですが。で、実際よくネット上の意見を見ていると、マスコミ批判の論拠はやはりテレビのワイドショー(あるいは情報番組)の印象から受けるものが強いように思われます。
 で、私はそれは無理もないことだと思います。普通の人(これはかなりのインテリまで含む)にとってマスコミ=テレビのニュースショーでしょう。それと「俺はワイドショー屋とは違う」ことをプライドにしている新聞記者の議論がかみ合わなくて、それがむしろ当然なのです。

 一応週刊誌についても書きます。週刊誌を読むと、いつも記者クラブ制度の批判が載っています。では、彼らはネットの普及で影響を受けないのでしょうか。記者クラブがなくてやっていけるのか。
 地方で大きな事件が起こると、週刊誌の記者から新聞記者に取材電話がかかってきます。彼らには支局がありません。一方で、速報の必要もない。だから一次情報を新聞に依存しているのです(厳密には新聞は二次情報ですが、記者の取材結果は一次情報になると考えてよいと思います)。実際、ある大手出版社の資料室には、全国の地方紙すべてを購読して取りそろえられているそうです。「記者クラブ制度があるからそうせざるを得ない」というかもしれません。でも制度がなければ、彼らは一次情報を取材するのでしょうか、地方の隅々の会見まで彼らは出席するのでしょうか。
 しないでしょう。とても採算に合いませんから。
 新聞社だって同じで、市場原理を貫徹すればするほど、地方の取材は難しくなる。採算の合わない地方の不祥事や事件は世間から消えていき、「なかったことになる」わけです。

 「記者クラブがなくなれば、全部ネットで情報公開されるんじゃないの」そうでしょうか。
 彼らが取材を進めるために何より知りたいのは名前、住所といった個人情報です。個人情報がネットに掲載され、行政や司法機関がわかりやすい表現で完全な情報公開ができる時代が来るなら、我々の仕事はもうなくなってもよいのかもしれません。
 でも、現実には、個人情報の保護を隠れ蓑に、当局の情報公開はどんどん後退しているのが実態でしょう。そこら中「プライバシー」を理由に、匿名だらけです。それを市民が望んでいる、ということだったら、強制捜査権もないわけだし、JR西日本相手みたいに会見で怒鳴っても意味がないわけですが。

 つまりまあ、「人の個人情報は知りたいが、自分の個人情報は教えたくない」というのが正直なところではないでしょうか。仕事を離れれば私だってそうです。でも、結局そうすると、他人のことも知ることができなくなるのは理の当然ですよね。「もうそんな個人情報の報道はいらない。もっと大所高所の報道を」という(小生には)ありがたい意見が出して頂けるかもしれません。
 しかし、ではなぜ、あれだけ視聴率にこだわるテレビ局と、実売部数にこだわる雑誌社から事件報道がなくならないのでしょうか。「結局みんな批判しながら、えげつない事件報道を好んで見て、読んでいる」からではないのでしょうか。ワイドショーと週刊誌には、現状でも記者クラブのカルテルは適用されていませんし、宅配も押し紙もありません。ただ視聴率と部数があるだけです。彼らの報道、行動がまさに「市場に、消費者に支持されている」のです。

 結局、市場原理にゆだねていけば、新聞と週刊誌の垣根が消えて、全部週刊誌に変わるだけ。極小の高級紙は残るかもしれませんが、それだって商業的には怪しいものです。実際欧州の大衆紙は、日本の週刊誌並みのゴシップ・パパラッチ紙面で埋まっています。
 で、ネットが普及して、堀江社長が言うように「関心の高いニュースに特化する」といえば、結局のところ、現状ネットに載っている新聞記事から、えげつない週刊誌的な事件記事に取って代わるだけではないか、という気がします。まあ、それを読者が望んでいる=市場原理=正義と言うことなら、それも仕方ないことなんでしょうか。