雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

ブログvs新聞記者論のまとめ原稿を書いた

 「古いメディアを殺す」”ホリエモン”ことライブドア堀江貴文社長の発言にとどまらず、インターネットの急速な普及とともに新聞やテレビといった既存メディアの存在意義に疑問を投げかける発言が相次いでいる。
 —相次ぐ業界内の不祥事や、災害や犯罪報道でのメディアスクラム(集団的過熱取材)—既存メディアの権威が「マス『ゴミ』」と揶揄されるところまで低落する一方で、「ブログ」と呼ばれる双方向性のネット掲示板が個人で作成可能になるにつれ、その声はますます高まっている。


 知人のある地方紙記者は事件記者を離れ、若者向け紙面の担当に移った際、読者からの投稿が少ないことが気になった。
 高校の校門前でアンケートを取り、若者へのインタビューを繰り返す。
結論は「新聞は若者にあまりにも読まれていない」だった。
 渋る上司を説得し、紙面変革に取り組む。一方で「若者はやがて大人になる。大人になっても読まれなければ、新聞の価値がなくなってしまう」—危機感は増した。
 選択は、自らが記者としてブログを書き始めることだった。取材や仕事、あるいは業界をめぐる問題点を率直に吐露し、市民の批判に耳を傾けることが、紙面への関心と信頼を取り戻すのにどうしても必要だと考えたのだ。
 今や、ブログには一日二万人が訪れる。匿名性の高いネット上ゆえに心ない批判も多いが、無視せず誠実に答えるのがモットー。逆に言えば、それだけ既存マスコミへの不満がうっ積しているということなのか。
 読者の声を新聞に反映させる—ネット上の記事をブログ化した神奈川新聞の「カナロコ」など、読者参加が前提の「参加型ジャーナリズム」の模索が、遅々としてだが地方紙を中心に始まった。
 テレビの襲来を乗り切った新聞は、インターネットの出現で再び新たな模索に入った。
 速報ではネットにかなわない。しかもネットではテレビと違い全文の詳報も可能だ。
 一方でネットでのニュースは今のところ無料。広告やポータルサイトから得る収入は微々たるもので、商業的には成立していないのが実情だ。
 一記者としての私は「たとえ紙からネットに媒体が移っても、事実を収集し、解釈し、書いて伝える記者の仕事は生き残る」と信じたいのだが、どうだろうか。

(某都道府県庁の庁内誌に「古いメディアは『殺される』?)として寄稿。原文は写真付き)