雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

新聞はラジオ化する?

 しばらく本業が多忙のため、投稿をさぼっておりました。数少ない読者の方、申し訳ありません。
 ここしばらく、複数人の取材団の一人として、いわゆる「夜討ち朝駆け」に近いようなことをやっていましたが、素朴な感想。
「取材は、まともにやると金がかかる」
 道警の裏金疑惑を取材した北海道新聞の高田昌幸さんらチームの仕事、あるいは毎日新聞の遺跡ねつ造報道には讃辞を送りたいと思います。が、率直に言って、ある疑惑があったときに、取材チーム(取材班でも名前は何でも良いですが)が組める会社は、「お金と人に余裕のある会社」だけです。
 調査報道は確かに王道です。まじめなマスコミ就職志望者に聞けば、10人中8人くらいまで、「調査報道をやりたい」というかも知れません。
 しかし、おそらくマスメディアにはこれから金がどんどんなくなっていく(普及率が下がり、広告媒体としての価値が落ちる)としたら、「調査報道のような『贅沢なこと』は、今後どんどんできなくなっていく」のではないかとすら思います。

 たとえば、取材チームと言うからには2人(最低限だなぁ…)でやるとして、まぁ最低1週間。月50万円の給料をもらっていれば、その間他の仕事をやらないからこれだけで25万円です。極力公共交通機関を使うにせよ、たとえばバスもない田舎に取材に行く。現在のマスコミがやるようにタクシーを丸1日使えば1日5万円はかかります。1週間記者2人がフルに働くと、100万円近い金が飛んでいくわけです。その間、他の仕事ができなかったとすれば、新聞は、毎日出続けるので同僚にその分の負担がかかります。とても記者個人の思い入れで始められるものではない(だからこそ、高田さんのようなデスクや報道部長の決断と仕切りに価値が出てくるわけですが)
 情報公開制度を使うにしても、役所が請求するコピー代は1枚20円から40円くらいでしょうか。私は一度、5000枚以上ある文書の情報公開の処理をしたことがあります(請求だけして、異動になった記者の受け取りを引き継がざるを得ず…)が、5000枚としたら4990枚くらいが、無駄な紙でした。コピー代だけで20万円以上請求された記憶もあります。役所は文書のどこに重要な情報があるかなんて教えてくれませんから、全量を請求するしかないわけです。
 で、当然「疑惑」なのですから、「記事になる」ものもあれば「疑惑のまま、裏付けが取れずあきらめる」ものもあります。おそらく後者の方が遙かに多いでしょう。調査報道というのは、人的にも金銭的にも「金食い虫」であり、だからこそ、あれだけもてはやされながら、なかなかできないのだろうと個人的に思っています。

 お金をかけずに取材をする方法はないか。ここからは仮説ですのであまり怒らないようにお願いします(笑)。
 私は新聞というメディアは残ると思っています。しかし、その多くはラジオ局のように、ちんまりとした姿になっていくのではないか。たとえば各地方に1局。社員100人くらいで、お金のかかる生ニュースや有名タレントを使った番組=紙面は東京の大メディア会社、キー局まかせ(付け加えれば、ラジオのキー局というのは、規模的にみればすごく小さい会社です)。で、自社の紙面はちょうどラジオ番組のように、お金をかけない企画勝負。面白い企画は隣の地域の会社とかでも使われて、共同企画なんかもやったりするが、あくまでお金はかけない、みたいな。
 たとえば東京の阪神ファン(私のことですが)のようなニッチのマーケットを相手にすることになるかもしれません。たとえば将棋の名人戦の記事が読みたくて、毎日新聞を読むようなものでしょうか。違うかな!?
 一方、ラジオで言えば、ステレオ放送とか(AMステレオ放送は消えてしまいましたね)音質向上といったことにあたるような、印刷工場の新設とか、そういう正攻法の設備投資はもうやらないし、やれない。

 では具体的にはどうでしょう。一つには「速報性を放棄する」動きが既に出ていますが、強まるかもしれません。
 全国紙でも地方紙でも、大きな負担となっているのが、夕刊の発行と複数版(早版、遅版)の発行の維持です。
 「夕刊に入れるため」「早版に入れるため」、電車で行けるところにタクシーで行き、陸路でいけるところにヘリを飛ばしています。何気ないヘリコプターの現場写真1枚で、数十万円が使われています。
 「きょう逮捕」を半日から一日早く報道するために、どれだけ夜討ち朝駆けのタクシー代(下手をすると黒塗りハイヤー)が使われていることでしょうか。
 これから会社にお金がなくなったら、その交通費を取材(と記者の給料?)に回していくしかないでしょう。速報は通信社から買う。現場着が遅くなっても、電車とバスで行く。そのかわりじっくり取材してオリジナルな視点で書く。やったことがないのでそれで書けるかどうか分かりませんが。
 新聞と言うより、週刊誌の考え方に近くなるのかも知れないですね。日本にはゴシップ紙ばかりでそういう週刊誌のマーケットがないようですが…ドイツの新聞を読んだことがありますが、ヨーロッパの新聞というのは、そんな感じです(しかし宅配制度もなく、現地の新聞の普及率は低いです)。

 もう一つ、別の観点であるのは「記者の給料を下げる」ことでしょう。給料=待遇と考えれば、それには取材経費の多寡も当然含まれます。
 だから、たとえば記者魂で夜回りしたかったら、自分の車か徒歩で行く(当然会社負担はなし)。調査報道がしたかったら、通常の業務を全部やった上で、空いた時間に片手間でやる。まぁ今でもそんな感じですけどね…
 逆に成果主義を導入して、うまくいったらいくばくかの賞金を払う。うまくいかなかったら、(たとえば)首を切る。新入社員は3年契約の契約社員とかにして、その間にどういう成果を上げたかで次の契約を続けるか決めるとか。
 記者のフリーライター化というべきでしょうか。この方が資本主義的というか、簡単なアプローチです。
 しかし安易でもあります。

 実にメディアの世界というものは、ある程度の規範や信義則はあるにせよ、法律や規則が整備されていない、またそういうものを整えることを拒否してきた、ある種の「無法地帯」です。個人のモラルに頼るしかないのです。
 たとえば記者個人が「隣の新聞に載っているのを写して書いちゃえば楽でいいや」といって、誘惑に負けてもバレなければそれで済んでしまうかも知れない(バレたら首ですが、銀行の会計みたいに監査しているわけではないから、バレるかどうか分からない)のです。裏も取っていない「飛ばし」記事を書いても、「名誉毀損で訴えられなければ」、逆に特ダネ記者に間違えられることもあります。
 現在、朝日新聞とNHKが記事の真実性を巡って激しい争いを繰り広げていますが、その背景にあるのは、結局のところ、「朝日新聞だから(給料も高いんだし)間違えないだろう」「NHKの人だから(きちんとした特殊法人の人間だから)ウソは言わないだろう」というブランドでしか、出来上がった製品の品質=信頼が保証できない世界である、ということだと思うのです。でも現実は必ずしもそういう人ばかりではないから、ああいうことも起こる。

 記者一人一人の良心はもちろんあります。しかし、それは「払われている給与、処遇なり」の良心でしかない。
 むしろそれが資本主義の現実ではないか。それを飾っても仕方がないと思うのです。
 会社が傾き待遇が下がれば人材はどんどん抜けていき、紙面の質は”全体として”確実に下がっていきます。
 記者魂も結構ですが、給料が下がって、部長に「夜回り行くなら電車で行け、帰りは電車がなくなったら歩いて帰れ、でも負けたら許さんぞ」と言われて、それでも電車で行く記者が業界にどれほどいるものでしょうか。
 色んなタイプの記者を見てきた一人として、今後に懸念が尽きないところです。