雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

Used Japan

 かつて航空会社の人と話ををしていたとき。 某社の幹部が「○○さん(某航空会社)は大丈夫なのかね、なんでもインドの(中古機)買っちゃったんでしょ。その点うちは××(某先進国)の中古だから…」
 某幹部氏の話を要約すると
1.飛行機には新品と中古があり、国際規模の中古市場がある。
2.新品の値段は同じだが、同じ機種の中古でも、値段が違う。発展途上国で使われた機材は敬遠される。
ということだ。要するに飛行機も自動車と同じなんである。
 ただし、ここで注記しておかなければいけないのは、「インドの中古を買った=その会社の飛行機が危険」ということではない、ということである。飛行機の部品はモジュラー化されているので、新品同様にすることはそう難しくない。
 某幹部氏が懸念しているのは、経済的なこと、つまりメンテナンスコストのことだ。

 飛行機は機械である。機械だから定期的に交換が指定、推奨されている部品がある。その中には、壊れると墜ちるものもあれば、壊れても飛ぶには飛べるが、長期的に悪影響を与えるもの(例えば某国の飛行機は、成田で故障が分かっても、日本で部品を交換すると修理代が高いので、故障したまま母国まで戻って交換するとのうわさも…)とか、重要度はバラバラだある。
 日本を含む先進国は、定期的に、メーカー推奨の交換周期を守って点検、交換しているが、途上国で使われる機体は、見た目は同じでも、整備が適当なのだそうである。
 つまりお金のせいか国民性かは分からぬが、要するに「飛べればいい」→エンジンとか超重要部品を除いて部品交換しない。従って、「見た目は塗装してあるから同じでも、中身はガタガタ」(某氏)ということなのだそうである。
 日本の会社は、当然そのままでは(国交省に怒られるのもあり)飛べない。たとえ飛べたとしても、すぐあちこちが壊れて交換が必要になる。
 最初の購入費を抑えられるのだが(でも資本のない新規参入航空会社ではココが重要だから、"used途上国"の機材を買う)、整備費がかかる。整備している間は飛べないから欠航で、さらに損が広がる。新規参入組にはつらい。
 結果的に高くつくのである。 逆に、"used Japan"は、その後の維持費用が安くてすむから、高値で流通するともいえる。
 航空会社を始める人は(いないと思うが)、とにかく初期資本を揃えることをお勧めしたい。まさに規模の経済が成立している世界である。
 さて、ここでは「壊れそうな部品は、早めに交換する」ということ(「予防保守」という)のが前提になっている。
 これが当たり前のようで当たり前でない。逆に先進国でなければ当たり前でない方が多いだろう。特に難しいのは「壊れるかどうかは壊れてみないと分からない。交換しなくても今すぐは壊れないかもしれない」ということなのだ。短期的には「予防保守は損」なのだ。
 長期的に壊れたら損だから修理するのだが、かといって、始終整備して運転しなければ会社がつぶれてしまう。だから、予防保守の概念は、目の前の損を覚悟して将来の利益を得る、すぐれて近代合理主義の産物である。
 有名な話だと思うのだが、旧ソ連には減価償却の概念がなかった。(今でも社会主義国にはないかもしれない)
 「世界に先駆けて○○を完成した!」とスターリンが諸外国に誇った施設も、時を経て老朽化するのは世の常だ。
 そこでまともな企業というものは、ずっと営業を続けたいから、老朽化を見越して修繕や更新の費用を積み立てる。それを制度にしたのが減価償却という概念である。要は、完成したものは、その瞬間から価値が落ちていくということである。
 ソ連国営企業だった。工場長は役人で、例えば2年というような短期で替わる。幹部が見ているのは目の前の成果(=出世)だけである。ソ連では労働力の流動性は高かったから、労働者も企業や設備に愛着がない(そもそも国営だ)。そこで真っ先に削られたのは将来のための費用、修繕のための積み立てだった。
 今モスクワに行くと、「巨大な設備だが、動いているのは一基だけ、そこにみんなが行列」という施設によく行き当たる。建物のエレベーターしかり、暖房配管しかり。作ることはできたのだが、今や維持修理の費用がない。
 軍事施設も例外でない。ウラジオストクには、廃棄費用すら払えない原潜が、赤さびた姿をさらしている。新しい高層ビル、目新しい施設。それは経済成長のシンボルであり、人は新しいものの輝きに目を奪われがちだ。
 しかしお金さえあれば新しいものは買えるのだ。諸行無常、万物は流転するというではないか。問題はそれを使い続けられるかだ。
 古いものを使い続ける方が実は難しい。私はそれが「まともな国」なのかの分岐点だと思って見ているのだが。