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雑観練習帳

ニュースの現場で思うことつれづれ

「危ない」地域に行くということ

 危ないことをしているつもりはないが、「危なくないですか」と聞かれることがある仕事をしている。シリアに行ったことはないけれど、中東に住んだことはある。ウクライナも行った。今住んでいるところも、日本人の感覚で言えば「安全」とは言い難いイメージのあるところだ。
 「危ない」ってなんだろうか。生きている限り日本であっても、東京であっても危ないことはある。東日本大震災があったばかりだ。
 いま、日本の男子文系大学生の就職ランキング上位は総合商社が占めている。商社は給料がよい。「安定している」。良い給料は何で稼いでいるか。決算書を見ればすぐ分かる。資源ビジネスだ。資源はどこで開発し、どこから輸入しているか。日本人が言う「危なそうな」国のオンパレードだ。アルジェリアでのBPのプラント襲撃で、日揮の関係者の方が多数亡くなったのは、まだ2年前のことだ。テロだけではなく、寒いのも、暑いのも、伝染病も相当に危ない。「危ない」ところに行かなければ、稼ぐことができない。東アジアのライバル、中国、韓国企業に負ける。競争はそこまで来ている。

 「業務ならば」危険なところに行くことが許されるのか。逆に業務であれば「行かなければならない」のか。(フリーを含め)ジャーナリストも業務である。ただ一般に小企業で資本の量が違うだけだ。功名心だと言うが、資源ビジネスにも功名心はある。企業の方から戦争中のイラクに「どうやったら(安全に)行けますか」という問い合わせを受けたこともある。
 もちろん使命感もある。「自分がここで書かなくて(撮らなくて)どうする」という現場もある。でもほかの仕事でもあるはずだ。開高健氏の小説ではないが、戦場記者(基本的にカメラマン)はちょっともてるらしい(自分のことではない)。しかし強い使命感を持った韓国のキリスト教系ボランティアがイスラム圏のアフガニスタンに行って拉致され殺害されたという事件もかつてあった。
 文化圏が違えば、強い使命感があれば何をしても許されるというものでもない。逆に、少なくとも倫理的に堕落していなければ、責められることはないはずだ。

 「日本外務省が行くな」というところには行かないのか。では逆に「日本外務省が行っていい」という外国で死んだら、日本政府のせいにできるのか。少なくとも自分は「日本政府の責任にできるから」と言って、負傷したり死んだりはしたくない。
 最終的な自分の命に対する責任は、国家でなく自らが負うものだ。少なくとも、自分は仕事に行くときは、国内であれ国外であれ、確実に無事に帰る、という確信を持つことができるまで準備する。
 紛争地で最高のホテル、頑丈な車に乗ることが常にベストとは言い切れない(目立つことで逆に狙われる危険もある)が、その方が一般に安全性は高いだろう。優秀なガイドがいれば、リスクは低くなる。優秀な機材と優秀な人はどこの世界でも高価だけれども、世界の果てで負傷すれば、緊急搬送に高額の医療費がかかる。無事に帰るのが一番安いのだ。
 よき戦争報道の条件は何か、と問われれば(必要な安全度が確保できるまで)待つことができる心の余裕と、安全上必要なときに惜しみなく投じることができる十分な資金ではないだろうか。

 日本の外務省の職員の方は、心ない批判があったり、実際やる気のない人も傲慢な人もいるのだろうが、現場では一生懸命やっている方も多いように思う。ただ、当然ながら外務省の人が「直接」稼いだり、「直接」報道することはない。だから、どうやったら稼げるか、どうやったらいい記事、映像が出るか、そういう面での情報収集や積極的な判断にモチベーションは向きにくい。「行かなければ(より)安全です」という方向に判断が向かうのも自然なことだ。

 人間が行動する限り、リスクはつきまとう。中東で「自分探しをしたい」と思っている若者たちにもたびたび会った。シリアは当時、中東でもっとも安全な国の一つだった(アサド政権が自国民を激しく抑圧していたから安全だったのだが)。若いうちに価値観の違う国を自分の足で回るのは、悪いことではない。危ないところになんか行かなければいいじゃないかといいながら、「最近の若者は冒険心が足りない」とか言っていたとしたら、それはひどい矛盾だ。彼らの判断を助けてやるのが、大人であり、国民の属する国家の仕事だ。

 今回の後藤健二さん、湯川遥菜さんの事件では、きわめて残念な結果になった。非武装の民間人を殺害するのは何であれ許されない。お二人は死亡した公算が大きいとされており、なぜイスラム国支配地区に安全に入って戻ってこられると判断したのか、どうリスクを評価したのか。具体的に知るすべはもうない。
 ただし、湯川さんが拘束された時点で、すでに”イスラム国”による英米のジャーナリストの殺害報道があったのだから、どのように安全が確保できるか、不測の事態(報道ではガイドによる「裏切り」も示唆されているが、案内者の信頼性についての評価も想定の中に入っていたはずだ)への評価は慎重に行うべきだった、とはいえる。
 もちろんそれは慎重に行っていたのかもしれないのだ。だから、一部外者が「軽率だった」と非難することは控えたい。今回の場合両氏には、所属する組織もないし上司もいない(もちろん組織記者でも、戦場の状況は日々に変わるので、現場判断にゆだねざるを得ない部分は多い)ので、その判断経緯は本人以外には分からない。

 伝えられているところでは湯川さんはシリア反体制派の軍事行動に同行したいという願望を持っていたという。その願望を聞いていた後藤さんは、湯川さんの拘束を知った後、自力で情報収集し、自ら奪還しようとして拘束されたとされる。
 湯川さんが「参戦」に行ったのでなければ、ある意味での”自分探し”や”冒険”に行ったことは、それ自身責められるべきことではない。*1イラクで命を落とした香田証生さんも同じだし、たとえばかつてカンボジアポル・ポト派に捕まり殺害されたカメラマンの一ノ瀬泰造さんも同じだ。
 それは根源的に言えば、ヒマラヤの高山に挑戦するのと変わらない。ただし(死に場所を探しに行ったのでないとすれば)自らの命を落とす結果となったのだから、それは誤った判断だ。仮に、湯川さんが死に場所を探しに行ったのならば、後藤さんを巻き込んだのだから、非難は免れない。

 私は山には登らないけれども、山登りを免許制にすると言ったら反対する。リスクを取るのは本来、自由意思であるべきだ。しかし、遭難したときには、献身的な努力をもってしたとしても他者による救助に限界があることも、また知っておくべきだと思う。

 そして、後藤さんがどれほど高潔な人格で、これまでプロの戦場ジャーナリストとしていかに立派な業績を残していたとしても、結果的にすべての目的を達成できなかったのだから、プロとしての今回の行動には疑問符が付く。プロは生きて取材成果を持ち帰って(昔はフィルムやテープだった)、初めて評価の対象になる。後藤さんは本当に立派な人で尊敬するべき人ではあったけれども、「英雄」ではないはずだ。
 そういう思いを一番深く持っているのは、もっとも近しい人たちのはずなのだが。

 国家とか、安倍政権とか、日本の中東外交の成否、交渉経過の是非、身代金の是非、そういったものを問うのは、そのはるか後でいいのではないか。さらにいえば、自己責任だと主張し「政府に迷惑をかけるくらいなら自決せよ」とまで言う人々と、「安倍政権の判断ミス」だと声高に主張する人々は、いずれも価値判断の根を「日本政権」と「反日本政権」によりかかっているという点で同根だ。
 人の命はかけがえのないものである。命を一番大事に思っているのは本人だ。国家や周囲の人々はさまざまな情報を提供し、判断を支援し、若者であればあるいは説得もするかもしれない。だけれども、危険の判断を行うのは、最終的には本人の人格であるべきだ。

 もちろん、行く側の「リスク」だけではない。今回の事件には殺害した容疑者がいる。その組織「イスラム国」ととイスラム、そしてムスリムイスラム教徒)について、日本であまりに理解されていない、そしてそれを不十分なままに大量の報道が積み上がっているという悲しい現実についても思うことはあるのだが、それは機会があればまた。

*1:一応、私戦予備罪を構成する可能性がある、という理解はもちろんした上で

「市民の敵」はネオナチからイスラム主義に移るか

 サーバー屋さんからパスワードが破られたという連絡があり、対応に追われた。海外からのアクセスを止めるのが効果的という指摘だけれど、海外にいるとそうすることも難しい。

 パリの新聞社へのテロをめぐって、日本の言論も盛り上がっている。もちろんこれが「パリの、新聞社だから」ゆえであって、9.11テロも「ニューヨークだから」なのである。政治テロというのは常にそういう意味合いを持っている。田舎でやったのでは意味を持たない。

 西洋思想の専門家でもイスラム主義の専門家でもないのだが、基礎的な共通認識が欠けている発言もあるように思われる。
 基本的には、「下品だろうと何であろうと、言論に対抗するのに暴力を用いてはならず、まして殺害などもってのほか」というのは、民主主義の基本原理である。言論を統制すれば世論形成がゆがみ、多数決による意思決定もゆがむからである(故に、「言論の自由」にはその伝達を含む「報道の自由」が含まれると解される)。もっと簡単に言えば、これは欧米的(西欧近代的)なるもの、もっといえば(戦前的ないい方をすれば)「一等国」であるための基本原理である。
 もちろん、これに疑義を唱えることも(唱えるだけであれば)言論の自由ではあるけれども、言い出した時点で、その人は、例えばそれが認められていない中国に対する「倫理的優越性」を主張する権利を放棄することになる。そこには裸の権力闘争しか残らない。それでよい、そういう政治観、倫理観なのだという人はあまりいないと思うのだが。
 一方で、「イスラム主義」が目指す社会は、必ずしも暴力的、権威主義なものではないかもしれないのだが、西欧に源を発する「民主主義」的な原理とは異質な部分を含んでいる。とりわけ急進的でその勢力を増しつつある、いわゆるイラクとシリアの「イスラム国」などを含む「ジハード主義者」においては「敵」に対する暴力に訴える傾向が顕著だ。*1

 事件について。西欧市民社会でこれまで、これらの価値に対する挑戦者として想定されてきたのは、ネオナチに代表される極右主義者だった。そこに、多くが移民出身の過激なイスラム主義者のグループが、脅威としてはっきりと姿を現したということだろう。ネオナチは排外主義を伴っていたが、西欧におけるイスラム主義者の多くは中近東、アフリカからの移民出身者であり、立ち位置はこれと対極にある。
 ファシズム論の中では「民主主義を破壊しようとする勢力に対し、民主主義者がどう対抗すべきか」というテーマは古くからの論点であった(ドイツではナチズムは非合法である)が、これからの西欧市民社会はさらに「急進的なイスラム主義勢力に対し民主主義をもって対応するべきか、否か」という点に議論が向かうかもしれない。
 一応言っておくべきかもしれないが、ここでの「民主主義」は西欧近代主義者においては「普遍的な価値」ではあるけれども、「対抗すべきか」という法政治学的議論は、それぞれの地域領域内(それぞれの欧州国内、あるいは欧州連合(EU)内)で行われざるを得ないだろう。西欧的な「民主主義」を中東をはじめとするイスラム世界にいきなり持ち込む「十字軍」的な行為の困難さは、30年前のイラン革命、9.11後のアフガニスタン、10年前のイラク戦争、3年前の「アラブの春」以降の推移をみれば明らかだ。

 しかし、これが西欧近代主義者が喝采を浴びせた「アラブの春」から3年後の現実であったとは。アラブの春については3年前に記し、そのままに残してあるた一連のメモを参照いただければよい。

 

pavillon.hateblo.jp

 


 しかし「次に飛び火するシナリオの中で、もっとも危険なストーリー」と書いたシリアでまさに大規模な内戦となり、エジプトでは結局「民主的な選挙」でイスラム同胞団が政権掌握し、それに対するクーデターで軍政が復帰、同胞団は非合法化された。それぞれ読み返すとあまりに示唆的だ。原油価格はシェールオイルのおかげで高騰しなかったとはいえ…

*1:イスラム主義者が目指す「理想社会」はまだ現実のものとなっていないので「民主主義と相容れない」と言いきることはしない。これについてはまた機会があれば。このエントリはあくまで「日記」の一部であるから。

謹賀新年2015

 本年もよろしくお願いいたします。

 妻が、日記を書き始めると言ってノートを持ち帰った。対抗するわけでもなく、挫折するくらいなら始めない方がいいのと思う今日この頃ではあるが、ツイッターより少し長い年始の感想を書いてみる。

 海外にいるので、見られるテレビが限られるが、「シャーロック」をDVDとNHKの再放送で視聴。いろいろと原作へのオマージュがあって、それを知っているとなかなか面白いのだが、「強い東風が吹く」という表現。原作では台頭するドイツ。本作では(恐らく)ロシアが念頭に置かれているのだろう。シャーロックたちにたびたび”禍い”が東欧からもたらされているのも示唆的だ。
 「ロンドングラード」と言うくらいで、ロンドンにはロシア人がたくさん住んでいて経済的な影響力も大きい。そして不偏不党のBBCドラマなのに、こんなに踏み込んで示唆しちゃっていいのかと思うが。妻は、「残虐シーンが出てこないのがいい」と感想。私も同感。

 紅白はBSで放送しないので仕掛けを考えていたが、残念ながら不発だった。ラジオでまったりと聞いていたが、テレビだと大晦日はいろいろ割り込みがあってちゃんと見続けないので、これも新鮮な体験だった。紅組は特に中森明菜、(中島みゆき)、松田聖子と、何年前の紅白だろうと思うラインアップだったが、過去への振り返り(美化)傾向が顕著な日本社会を反映しているとすれば、これも興味深い。

 かなり先に、今年の正月を振り返るときがくるだろうか。そういえば、前の海外の時は、イスラム暦の国であっただけでなく、パレスチナ・ガザ戦争のさなかであったのだ。ガザの戦争は、昨年もより激しい形で繰り返された。諸国(勢力)間の紛争は、冷戦直後に比べても、より仮借ない形で繰り返されているように思われる。これが世界の「多極化」ということか。

朝日新聞の第三者委員会報告書への雑感

 すでに年が明けているが、昨年の振り返りでこれは記しておいた方がよいと思い、大晦日付で記したい。

年末に、従軍慰安婦報道を巡る「第三者委員会」報告書

朝日新聞社 3つの検証委員会 慰安婦報道検証 第三者委員会・報道と人権委員会・信頼回復と再生のための委員会
が公表された。もし一読しようと思う人がいらっしゃれば要約版でなく全文の方が興味深いと思う。

 従軍慰安婦問題そのものについては、先に述べたように専門家の論考がある中で、専門ではない一記者が分析を述べる意味はあまりないように思うので、同業者としての感想を要約して述べる。この20年あまりの推移は、まさにきわめて日本的な組織論理が展開された結果なのだ、ということに尽きる。それは、まさに報道が行われた当時の対応もそうであるし、今年(これを記している時点では昨年)、この問題を「総括」すべく記された8月の「検証記事」についてもそうである。
 その中で、組織論としてとりわけ興味深く思われた点を2点記す。

  • 1.そもそもの最初の報道と位置づけられている1982年9月2日付の記事について、執筆記者が「判明していない」とされること。また、1990年6月19日、朝刊(大阪本社版)社会面(26面)に「名簿を私は焼いた」、「知事の命令で証拠隠滅」、「元動員部長証言」との見出しのもとに、顔写真が付された記事についても「執筆者が不明」で、「取材の詳細も判明しない」とされていることだ。

 限られた経験ではあるが、記者という存在は、自分が直接話を聞いて、書いた記事について「書いた記憶がない」ということはあり得ないものだ。まして、社会面に大きく掲載されるような記事であればなおさらだろう。(もちろん、取材メモが散逸していて一問一答を記すことができないということはある)。
 この調査は決定的なものであり、名のあるジャーナリストを複数含む構成であり、かつ社内の全面的な協力を指示されているものでありながら、取材、執筆者が誰であるかに到達することができなかった。


  • 2.(まず報告書より引用する)

1997年特集の後、担当した社会部のデスクは、「以降、吉田証言は紙面で使わないように」と記載した「行政」を出した。「行政」とは、社内の連絡文書であり、当時は、デスクが編集システム等を通じて社内の関連部署に送っていた。「行政」の内容は、他部署に対する調査・取材依頼、取材に関する注意喚起など多岐にわたっており、受領後に保管するか、廃棄するか、といったルールも明確ではなく、受け取った側によって取扱いは様々であった。「行政」は頻繁に発出されており、1件1件の重みは様々であったと思われる。なお、現在では、「社内連絡」の名称で、メールの形となっている。「行政」の位置づけが上記のようなものであったことから、吉田証言に関する「行政」は、これを出した者の記憶にはあるものの、その他の者には意識されず、取材班の者ですら、ほとんど把握していない状態であった。

 1997年特集とは何か説明する必要があると思われるので、これについても引用する。

 朝日新聞は、1997年3月31日付朝刊1,16,17面の特集記事において、「従軍慰安婦 消せない事実」、「政府や軍の深い関与、明白」との見出しで、慰安婦問題を大きく取り上げた。(中略)吉田証言は、上記の「経緯」の文中に、次のように取り上げられている。 「吉田清治氏は八三年に、『軍の命令により朝鮮・済州島慰安婦狩りを行い、女性二百五人を無理やり連行した』とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、まもなく、この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。

 名称は違うが、どこの新聞社にも「社内連絡」的文書群はあるようだ。記されているように全国への取材手配、話題となっているテーマへの注意喚起…といったものである。こういった指示は基本的に厳格に守られるのが常である。紙面化されていないが、この時点で「吉田証言」の不正確性は全社内で共有されていたことになる。問題はそれを対外公表するか否かという点で、朝日新聞という会社は、それを社内限りとする判断をとった。
 ここから先は推測にならざるを得ないが、「(過去)紙面の無謬性」への信仰が優ったという推理は容易に可能だ。直すと誰かが怒られ、責任を取ることになる。初報からすでに15年経過しているが、15年という期間は(当時の)新聞社にとってはそれほど長くはない。多くの先輩が当時在職していたはずで、その当時であれば82年、90年の記事の執筆者が「判明しない」という事態は恐らくあり得なかっただろう。
 先の投稿で記したが、この問題は、「誤報(虚報)による特定の被害者」が存在しない案件である。誤報を「事実ではない」との確証が得られていないのだから、それを取り消すほどのことではない、と判断がなされたことがうかがえる。

社会部以外の者は、「あれは社会部がやっていること」であり、不用意に口出しすべきではない、との認識を示し、社会部内でも、「あれはもともと大阪社会部がやっていたこと」と述べる者もいた。さらに、「大阪社会部と東京社会部には壁があった」、「大阪社会部の記事を、東京社会部が取り消すなどということは、ありえない」と言う者すらいた。このように、同じ社内、同じ社会部内であっても、自分が関与していない記事については当事者意識が稀薄であったことが、吉田証言の見直しが遅れた大きな要因と言える。(中略)社内で意思疎通が十分行われず、問題についての活発な議論が行われる風土が醸成されていなかったことがある。


個別意見の中で興味深い部分を記す。

  • 何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。

岡本行夫氏)

  • 今回の従軍慰安婦報道問題の発端は、まず、粗雑な事実の把握である。吉田証言が怪しいということは、よく読めば分かることである。従軍慰安婦と挺身隊との混同も、両者が概念として違うことは千田氏の著書においてすら明らかだし、支度金等の額も全然違うから、ありえない間違いである。こうした初歩的な誤りを犯し、しかもそれを長く訂正しなかった責任は大きい。類似したケースはいわゆる「百人切り」問題である。戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、「審判」のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった。

北岡伸一氏)

 委員が指摘するようなことが行われてこなかった、できないのはなぜか。記者だといっても一組織人が解決できない問題の方が多いだろうし、属する組織が違い、「角度」をつけた経験はないが、「見出しが立たない」と言われたことはある。自らを振り返って思い当たる部分がないわけではなく、本題を140字で済ますわけにはいくまい。報告が、組織の内にあっても外にあっても自由で公正なジャーナリズム組織の実現につながれば、もって瞑すべしである。

朝日新聞の「誤報」を考えてみる

 日韓関係や、まして従軍慰安婦問題は専門でもないし、関心領域でもないのだが、昨晩異国の飯店で、全く異業種の方に日本のホットイシューとして問われた。ホットイシューについて思ったことを記録しておくのは、忘れっぽい私にとって一定の意味があり、ブログの趣旨でもあるので、話した内容をもとに記す。
 また、慰安婦報道の過去の経緯そのものは専門家である木村幹氏の文章に詳しいので省く。


慰安婦問題で朝日新聞は何を検証すべきだったのか | 木村幹

 大前提として、新聞というのは*1「間違いだらけ」である。もちろん間違えないように一生懸命やっているわけだが、人間が書いて別の人間がチェックしたところで、安全装置もないのだから、間違って当然である。*2間違いがないとある程度の自信を持って言い切れるのは、ほぼ全自動で作成される株価欄くらいではないか。
 記者の中には間違いが多い人もいるし、少ない人もいる。間違いが多い記者で魅力のある記事を書く人もいる。
 一般に急いで書けば、たくさん書けば、間違う確率は上がるし、事実関係の確認なら、記者の人数の多い会社の方が多くの取材先に確認できて有利だろう。朝日新聞はその面で、日本国内で最も整備された態勢をとっている会社の一つだ。
 また、どこまで知られているか分からないが、私が知る限りでは、朝日新聞社はとりわけ「間違いに厳しい」会社である。先輩から「朝日が書いてきたら、(記事のトーンは別にして)事実関係は間違いないはずだ」という言葉を聞いたことがある。訂正を出した記事を書いた記者への処分も明らかに他社に比べ厳しかったはずだ。*3

 あるいは、それは同社が「緩やかな党派性」*4を持った新聞であった歴史を反映しているのかもしれない。
 つまり戦後続いた自民党一党の長期政権の中で、それに対抗する勢力から(仮に「中道から左派」とする)支えられてきたという経緯がある、常に政権から「誤り」を突きつけられる可能性の中で、記事を出してきた。中年以上の新聞記者ならかならず(憧れであれ批判的であれ)一度は目にしているはずの元朝日新聞本多勝一氏がどこかで「朝日は責任新聞である」と述べた所以の一つでもある。奇しくも従軍慰安婦をめぐる一連の報道は、まさにその自民党長期政権の最後となる宮沢内閣で最高潮を迎えたという。*5

 その中で立ち戻ると、誤りにはいくつかの類型があるように思われる。

  1. ねつ造(自社の記者が嘘をつく)
  2. 思い込み、タイプミス、聞き違い
  3. 判断、解釈ミス
  4. 取材先に嘘をつかれて、見抜けない


ねつ造はお金をいただいている以上論外ではあるが、その職場の気風とか、そういうものにも起因するのだろうが、各社でしばしば起きることが知られている。朝日新聞だと昭和の三大誤報といわれる「伊藤律単独会見記」というのがそれに当たるし、知事に直接取材したとして書いた記事が、取材を受けたこと自体を否定されて、発言自体が完全な作文だったことが分かったとか、そういうことは時々世間を騒がせる。

「聞き違い」についていうと、単純な記録ミスは、録音の普及で激減した(一方で、記者会見でひたすらタイプするだけの記者が増えていると聞く)。
 一方で、この中には誤報と言うにはかなり難しいケースもある。取材した相手が報道の影響に驚いて「真意と異なる」とか、「記者が誤解した」と発言するケースがままあるからだ。では”真意”とは何か、といわれても、要約して編集する媒体である以上、100%はあり得ない(仮に全文を掲載したとしても、表情とかニュアンスを伝えきることはできない)。ゆえにこういった”誤報”は、報道がコミュニケーションの一つである以上、常に起こり得る。

「判断、解釈ミス」は、、たとえば組閣人事報道でしばしば起こるし、産経新聞の「江沢民国家主席死去」などがそうなのかもしれない。断片情報を総合して、あるいは確たると信じる(できれば複数の)情報源に当たったとして、その上で「間違いない」と判断するわけだが、そうではなかったということだ。「○○を固めた」と書いて、翌日固まってなかったら(発表されなかったら)どうしよう、と思ったことのない新聞記者はいないだろう。

そして今回の従軍慰安婦をめぐる朝日新聞の報道は、4番目の「取材先に嘘をつかれ、見抜けない」にあたるのではないか。この典型的な例は、東大病院の特任研究員がiPS細胞を重い心臓病の患者に移植する治療に成功したという、2年前の誤報だ(このときは読売新聞の2ページにわたる特報が誤報だった。同社や大学の調査によると本人が虚偽の説明をした)。
 従軍慰安婦の今回の事例について、人文科学での真実性の検証は自然科学よりもはるかに難しいから、「あった」と公に言っている人がいる以上、それを伝えるという判断はあり得るし、実際朝日新聞以外のメディアも報じたのはそのためだろう。

 しばしばそういう「誤報」は(朝日新聞に限らず)ある、という前提のもとでメディアが判断を迫られるのは、それをどういう形で「訂正(修正した続報を出すことを含む)」するか、あるいは否かだ。
 先に述べたように、人間が作るものだから、間違いは無数にあり、指摘されないまま図書館に眠っているものも多い。「後日見つかった誤りは全部訂正を載せている」わけでもない。
 大きな判断材料となるのは、「当事者への影響」かもしれない。例えば、事件や事故で容疑者と被害者の名前を間違えるという誤りは、あってはならないことだが、時々起こる。当事者の名誉に関わるこう言った誤りは、判明次第直ちに、謝った上で訂正されなければならない。今回のような事例は、それとは異なるという判断がこれまであったのだろう。
 今回の記事を誤報だとした上で「被害者」というものがあるだろうか。強制連行をしたという日本側の当事者は当の吉田氏を除いて特定されていない(実在しない可能性もある)。とすれば、誤報の被害者は極めて曖昧な存在でしかなく、名乗り出てもいない。*6だからこそ、これまで修正が図られなかったという推測もできる。

 では、いまなぜ朝日新聞が報道を「訂正」したのか。池上彰氏がコラムに書いたような*7今になって「吉田証言の誤りが判明し」、過ちを「正す」ことが目的ではないだろう。*8それはいったんは”終息”したはずの従軍慰安婦の「狭義の強制性」をめぐる問題が、李明博大統領期から日韓でふたたび政治問題化し、それに対し朝日新聞社が現在の日韓関係(また従軍慰安婦問題についての安倍政権のスタンス)にさらに発言を続けていくために、立場の「修正」が必要になったということだ。
つまり、もともと「謝る」ことが目的ではない。少なくとも自分にはそう思われる。

 その立場が支持を得られるかどうかは定かではない。恐らく”右傾化した”いまの世論が支持することはないかもしれない。しかしだからといって、池上氏が論じたように「従軍慰安婦報道の誤り」について「おわびする」ということはやはり難しいのではないか。
 仮に慰安婦問題について「おわびする」ならば、同社がかつて書いた中国の文化大革命カンボジアポル・ポト政権への称賛はどうか。日本人が関わっていなければおわびする必要はないのか。
 それは最終的に、これまで読者から支持されてきた所以である「政治性」そのもの、そして本多勝一氏を例に挙げずとも、日本の言論界で名声を得てきた輝かしい先達を否定することにつながっていくからである。
 さらにいえばそれは同社に限らない。かつて各マスコミが揃って持ち上げた北朝鮮帰国事業はどうか。これには「日本人妻」をはじめ現在も多くの「被害者」がいる。こういった「歴史の評価を待つ」としてきた問題について、各メディアが自らの媒体で数十年後に訂正(さらにおわび)をするということは、これまでなかった。それはつまり、新聞が「そういうもの」であったからなのだが。

 ブーメランは、やがて自分に返ってくる。
 記者ツイッターの喝采を得て掲載された池上氏のコラムは、その点には触れていない。

*1:速報するという点でテレビは恐らくもっと間違っているのだが、紙に記録されないので多くの場合判然としない。

*2:だからといって開き直るわけではなく、最善を尽くすのは当然だ。

*3:一般に欧米の方が誤報への処分は厳しいという記者もいる。ただしこれは指摘された場合に「間違いを認めない」という形で、修正を拒否するという反作用につながる。欧米メディアが訂正を出すケースは、日本の同業者に比べて格段に少ない。

*4:本来「党派」に属する人々は商業新聞に頼るのではなく、それぞれの機関紙を購読するものだろう。

*5:ちなみに、筆者の実家は朝日新聞を購読している。「入試に出る」というので切り替えたと記憶する。大学教員をはじめとした知識階層は、朝日新聞を読むものだ、と信じられた時代がある。筆者には経験がないが、通常オフリミットなのに「朝日」の取材ならば応じるというキャリア組の当局幹部がいるという話も耳にしたことがある。

*6:もちろん「やっていない」「存在しない」のだとすれば名乗り出ようがない。

*7:池上彰氏のコラム http://www.asahi.com/articles/DA3S11332230.html

*8:吉田証言の誤りについては、私自身もかなり前に朝鮮半島が担当領域の朝日新聞の記者から教えてもらったくらいであるから、専門記者レベルの間では「周知」だったはずだ。

ロシアの情と、ウクライナの心(ウクライナ・メモ5)

 キエフに来たのは3度目となった。現場に来て投稿が止まるのはなぜ、と問われそうだが、本業があるので致し方ない。
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 ウクライナにも政治討論番組があった。金曜のゴールデンタイム。「朝まで生テレビ」より一人一人が丁寧に発言し、割り込む人はなく良心的に見える。

 せっかくの現場なので、幕間になるかもしれないが、分析でなく感想を記したい。
 クリミアのロシアによる「併合」があり、東部情勢が緊迫する中、キエフは「現場」の地位から去ったかもしれない。しかし、キエフから見るロシア=ウクライナ関係を伝える人は少ない(いたとしてもスラブ語の知識がない)という状況がある。ロシアメディアが自己正当化のバイアスで自家中毒に陥っているのではないか、というほど激しい論調を投じているいまだから、なおさらモスクワの論理で物事を語るのは危険である。もちろん、米ロがすべてを決するのだという大国史観の持ち主であればそれもよいのだが。

 あるロシア人ジャーナリストが「これほどまでにウクライナナショナリズムが高まったことはない」と慨嘆に堪えない表情で語った。それは事実その通りだ。問題は、これを語ったのが、ウクライナ人でなくロシア人であり、これに悪意のかけらもなかったということだ。
 よく指摘され、かつプーチン大統領自らがクリミア編入の演説で言及したように、ロシア人にとって、ウクライナは「故地」であるが、自らの文化と民族性を至高のものと誇るロシアの人々にとって、かならずしも尊敬の対象ではない、という問題がある。
 まさにそのジャーナリストが「かつては小ロシアと呼んでいた」と語ったように、「きちんとした」ロシア語を話さない、帝国の辺地である(ウクライナという意味自体が「辺境」を意味する」)という意識が、いまだ”帝国”のロシア人には抜け切れていないのではないか。ソ連時代にまさにウクライナの豊かさによって助けられながら、自らの工業化のために大飢饉を引き起こしウクライナの農民を虐殺した上に(ホロドモール)ソ連邦時代のこととしてあいまいにやり過ごそうとする。
 まさにそこが、キエフの(ウクライナ人の多数といってよい)ウクライナ人の義憤を呼んでいるのではないか、と感じられる。

 東洋の異国から来たジャーナリストにとって、キエフはそれなりに居心地のよい場所である。物価はモスクワと比べるまでもなく、ロシアの地方都市と比べてもかなり安く、店員の愛想もよい。物資も豊富で、黒海に面するウクライナは食事もロシアよりよい(ボルシチウクライナ料理である)。
 さまざまなサービスは(英語の通用度が低いという旅行者にとって致命的な問題はあるが、それでもモスクワより英語は通じるはずだ)欧米を指向しており、ロシア特有の奇妙な官僚主義もない。 日本人にはビザも不要で、もちろん面倒な滞在登録もない。通訳の問題さえ解決されれば、世界遺産が街の真ん中にあるキエフは(京都と姉妹都市だそうだ)、観光向きの都市だと言ってよい。

 もちろん、彼らはモスクワのロシア人ほど稼いではいない。東部の方が経済状態はよいといわれるが、ハリコフ(日本マスコミが使うこの名前自体がすでにロシアバイアスがかかっており、ウクライナ語ではハリキウになる)でも月収は4万円とか5万円といったレベルである。
 社会主義時代にははるか先を進んでいたはずなのだが、すでにEUに加盟したルーマニアなどバルカン諸国にも一人あたりGDPでは後れをとっている。*1
 東部に住む彼らはもちろん、自らの経済が、消費地であるロシアあってのものであることを知っているし、ヤヌコビッチ政権の腐敗も、同時にティモシェンコ元首相を初めとする野党の無力(おまけに腐敗している)もよく知っている。「連邦制」かどうかはさておき、自分の税収を自分の地域のために使ってほしいと願っている。

 だからといって、東部はロシアになりたいのか、といえばはっきりと「否」なのだ。なぜなら、彼らは「ロシア語を母語とするウクライナ人」であって、「ロシア人」ではないからだ。
 今日のキエフのテレビ討論では、「シェフチェンコウクライナを代表する詩人)よりプーシキン(ロシアを代表する詩人)を優れているとする教育の問題」が「ロシア語で」熱く討論されていた。*2
 親欧米派とされ、ロシアに非難されているような元ボクサーで旧野党「ウダル」のクリチコ党首は、デモ隊が集った独立広場で「満足にウクライナ語を話せなかった」という。キエフ市民の多くは家庭でロシア語を話しているし、東部のドネツク・ルガンスク(これもロシア語表記)で政府庁舎を占拠するデモ隊を「強制排除する」と言っている親欧米派新政権のアヴァコフ内相はアルメニア出身でロシア語しか話さない。 ロシアのメディアが作りあげる「危険なウクライナ」のイメージとかけはなれた現実がある。

 仮にクリミアを併合し、東部にさまざまな工作を仕掛けるロシアの背後に、エカテリーナ女帝の征服以来の故地であるクリミア、さらに近縁にあるウクライナを「救おう」とするロシア側の情があるとすれば、それは押しつけの善意でしかない。ロシア語を話す彼らの心はやはり、ウクライナにあってモスクワにはないからである。まして、ウクライナ欧州連合(EU)という、何とも魅力のある(しかし実際の便益は不明な)魔法の壺に魅入られているとすればなおさらだ。
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 キエフでは「クリミアはまだウクライナ」である。このテレビ局とチョコレートは、次期大統領最有力候補のポロシェンコ氏が経営。
 ロシア人ですらEUの一員になりたいくらいなのに(対EUのビザ緩和交渉には国民の関心が集まっていた)、なぜ関税同盟でカザフスタンと組まなければならないのか。さらにいえば、すでにクリミアを取られた上に、なぜにロシアと同盟を結び直さなければならないのか。個別政策や政治勢力の問題はさておき、これがいまのウクライナの多数を占める「心」ではないのだろうか。 

*1:しかし、ソ連時代の最先端地域であったので、地下鉄などを含め、インフラは整っている。この20年間がいかに「失われた時代」であったかということにある。

*2:これは簡単な議論ではないが、いわゆる大作家に優劣を付けるという考え方は、日本人はとらないだろう。

ロシアの決断と動員と(ウクライナ・メモ4)

 22日にヤヌコビッチ政権が事実上崩壊し、旧野党勢力による政権掌握が進んだ。この段階の動きは洪水のような情報量の中で進んでおり、たとえキエフにいたとしても何が起こったのかはっきりと把握することは至難であったに違いない。米国はこの段階の動きを歓迎し「幅広い勢力が参加した挙国一致の実務型政権」の発足を求める声明を出している。マイダンを支配した野党勢力が「勝利」に酔い、ロシアが反撃に拳を固めた1週間が始まる。
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 23日には大統領権限が暫定的に最高会議議長へと移った。本来ウクライナ憲法では大統領の空席時には首相が代行を勤めることになっている。いわゆる「新政権の正統性」という議論をする際に、合法性に欠けていると指摘するロシアなどは、この時点での問題も指摘する。

 しかも本来の最高会議議長であるルイバク氏(地域党)は「病気」を理由に22日に辞任しているのだ。後任にはティモシェンコ派のトゥルチノフ氏が選出されている。「革命」とみなすか「クーデター」なのか正統性の是非の議論はここではしないが、ともかくも「政変」であったことは疑いない。

 23日にはもう一つのターニングポイントがあった。ヤヌコビッチ政権時代に制定された、ロシア語話者が10%以上の地域でのロシア語の公用語としての使用を認める、とする法律を最高会議が撤廃したことである(その後、廃止は棚上げされている)。これもロシア側が「ウクライナ民族主義者が掌握した新政権によるロシア語話者への圧迫」の象徴としてたびたび非難に使われている。

 しかし、いずれの点でも腑に落ちないのは、最高会議の再選挙は本稿の時点までいまだに行われていないのであるから、旧政権与党だった地域党の議員が(離党者が多数要るにせよ)議会の多数を占めていた(そして、いまも占めているはず)である。あるいはウクライナ政治の悪弊である「寝返り」がまたも横行していたのだろうか。

 さて、新政権側のアバコフ内相によると、ヤヌコビッチ氏はこの時点ではクリミアにいたようだ。しかしウクライナ側の情報でも23日深夜から28日にロシアのロストフ・ナ・ドヌーに現れるまでの間の行方が分かっていない。ロシアの国営メディアは27日に、ヤヌコビッチ氏がすでにロシアにいる、と報道していた。としても去就には3日半の空白が残る。どこで、何をしていたのだろうか。

 翌24日にロシアは23日のウクライナ野党側の行動に対し初めて明確なリアクションを起こす。「正統性に疑問がある」とメドベージェフ首相が発言し、5月に大統領選を前倒ししたことに対しても外務省が「疑念」を表明した。外務省声明は西側に対しても「一方的な地政学上の計算で動いている」と非難のトーンを上げている。

 声明は声明として、ではロシアによるクリミアへの介入を決断する時期がいつだったのか、ロシアはどのような理解の下に、どれくらいの期間をかけて準備をしたのか。しかもそれはシナリオの中だったのか、あるいは外だったのか。それは極めて重要な問いなのだが、これに現段階で答えを示すのは困難だ。
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 一つの示唆となるのは2月24日のニューヨーク・タイムズの記事だ。記事は、21日「合意」に至るまでの協議の際、フランス、ドイツ、ポーランド外相と会談中に、プーチン大統領から電話が入り、消極的だったヤヌコビッチ氏の「態度が変わった」と伝えている。この記事が事実だとすれば、ヤヌコビッチ政権に結果的に事実上の引導を渡した「2月21日合意」はロシアの最高意思が反映した内容であったことになる。この合意を「一方的に欧米が反故にした」と感じられた瞬間、何らかの決断が下された可能性はもちろんある。*1

 ただ、それはいつなのか。クリミアという地域をターゲットにすることは、いつ特定されたのか。
 プーチン氏がウクライナに隣接する西部軍管区と中央軍管区で大規模な「抜き打ち演習」の開始を指示したのは26日のことである。現段階から振り返れば、この演習開始は、クリミア介入のための部隊移動のカモフラージュと見ることができる。この時点でクリミアにいわゆる「匿名ロシア軍部隊」を大規模に派遣する決意は固まっていたとみることができるから、決断は24日から25日のいずれかの時点ということになるだろう。
 クリミアで親ロシア派のデモが広がり始めたのは25日とされている。26日には議会と行政府の前で、新ロシア派とクリミア・タタール人らのウクライナ新政権の支持者が激しく競り合った。27日には両施設が親露派「武装集団」に占拠され、議場が封鎖された状態で政府指導者が親露強硬派のアクショーノフ氏らに交替する決議を実施、さらに「住民投票」の実施が決議されているが、この「武装集団」には匿名ロシア軍の一部(先発隊!?)が関与していた、と判断できる材料がある。
 この点からも25日までにロシア指導部内で何らかの決断が行われ、速やかに(作戦計画通りに?)部隊展開を行った、とみるのが穏当ではないだろうか。

*1:しかし、ヤヌコビッチ政権が急速に求心力を失っていく中で、この2月21日合意が実際に履行可能であったかはかなりの疑問が残る。